■二週続けて同じ相手と戦う

東日本大震災による試合予定繰り延べのいたずらで、アルテ高崎とFC町田ゼルビアは二週つづけて同じ相手と戦うことになった。町田にはこのほかにもホンダロックSCと中一試合を挟んでの再戦があった。J2でも栃木SCとFC東京が中一試合を挟み、再び相まみえていたが、こうした同一チームとの連戦にはやりにくさがある反面、一戦めの反省をすぐに生かせるメリットもある。

東京は栃木に敗れたのち、二戦めでは相手の狙いどころ≒ボールの獲りどころを外して引き分けに持ち込んだ。ホンダロックは一戦めで敗れる原因となったラインの高さや攻撃的な姿勢をあえて変えることなく町田との二戦めに挑み、その戦い方の隙を衝かれて連敗した。

町田は高崎との一戦め、11月27日のホームゲームは前半に1点を先制したあと、後半に3点を獲られて逆転負けを喫した。高崎は、ポゼッションをベースとする町田が自陣でパスを廻している際を狙い撃ちしてボールを奪い、高さのある浮き球を放り込んで得点を重ねた。町田の平均身長の低さを衝いた攻撃でもあった。

町田の長所となりうる特徴を逆手にとってのボール奪取と相手の弱点を衝いた攻撃。

この高崎の戦い方に、私が「相手が奪うリズムになっていたときに修正することは難しかったのか」と発した問いに対して「カウンター攻撃はたとえレアル・マドリーでも喰らう」とコメントしたランコ・ポポヴィッチ監督が、そのとき唯一指し示した対策は「高いボール、長いボールを出される前に、その出どころに厳しくプレスしに行って抑える」というものだった。

■素晴らしい試合を見せた二度目の対戦

試合後、中盤の中央を担う柳崎祥兵に「正直に廻しすぎたのではないか。リスクを負わない廻し方で時間をつぶしてもよかったのでは」と訊くと、「そうですね。チームの雰囲気を壊すパスミスをしてしまった。堪えないといけない時間帯でいままで(過去の試合では)堪えてきたんですけど、カウンターのシーンは必ずあるので、そこを堪えないといけない」と言う。

第一戦にかぎって言えば、この試合で勝てば昇格が決まるという試合ゆえの変調があった可能性はある。前半のじっくりがまんして廻すというペースを維持できずに、後半相手のリズムに付き合う格好になり、そのままタイムアップしてしまったのは、過緊張ではないのだろうが、いつもと同じようにできないある種の不調に陥っていたのかもしれない。

二度めの対戦となった12月4日の町田はすばらしかった。この試合に勝てばほぼ昇格が決まる、というシチュエーションそのものは先週と同じだが、それが勝たなければという焦りではなく、この一戦に勝って昇格するのだという、決戦に臨む雰囲気になっていた。

スタンドもすばらしかった。町田のサポーターはバスツアーを催行して高崎市浜川陸上競技場のメインスタンドを埋め尽くし、ホームとみまごう空気を醸し出した。試合前から試合後まで、アンチのいない一体感でチームを完璧に後押ししていた。

得点が入らずじれったい展開に、後半(セカンドハーフ)の終盤、タスキ部隊がいた右側とは反対の左側に位置した一般ファンから野次のような悲鳴が飛んだことはたしかだが、応援そのものは一度たりとも乱れなかった。

応援者の覚悟からすれば、町田にとってアウエー浜川での対アルテ高崎戦は、クラブの歴史を変える、あの1997年ジョホールバルの第三代表決定戦のようにきわめて重要な一戦だった。なんとしてもこの試合に勝ってJリーグへ行くという必勝の意思は、イランに勝ってワールドカップへ行くというあのときの代表サポーターに似た強さがあった。

■浜川の試合環境に慣れた高崎の戦い方