ネルシーニョが導いた「ミラクル」/J1リーグ@浦和レッズ 1-3 柏レイソル
Jリーグが誕生してから19回目となるシーズンが終わった。
その19年間で今年ほど「波乱のシーズン」という表現が似合う年はなかっただろう。
新チャンピオンは柏レイソル。
今シーズンにJ2から昇格したばかりのチームがJ1で優勝するのは史上初。
世界の主要リーグを見ても、ドイツの1.FCカイザースラウテルンが97-98シーズンに快挙を達成しているものの、相当なレアケースだと言える。
そんな金字塔が、柏レイソルによってJの歴史の中に打ち立てられた。
ちなみに今シーズンのレイソルが初めて首位に立ったのは、実は開幕戦の終了時点である。
清水エスパルスに3-0と快勝して好スタートを切ると、8月下旬に4位まで落ちた時期を調子の底として、シーズンを通して上位をキープ。
秋口から再び調子を上げると、残り5試合の段階で首位に返り咲き、そのまま優勝まで駆け抜けた。
しかしこの快進撃をシーズン前から予想した人はほとんど居なかったことだろう。
結果的に2位となった名古屋グランパスのストイコビッチ監督は、レイソルの強さを称えながらも「柏の優勝はサプライズ」と心情を吐露し、レイソルの酒井宏樹や橋本和は「(シーズン前は)優勝なんて考えもしなかった」と声を揃えた。
プレーしている選手たちですらそうなのだから、見ている側は尚のことである。
さらに言えばこれまでのJの歴史の中でも、2005年のセレッソ大阪や2007年の浦和レッズなど、半ば優勝を手にしながら最後の最後でプレッシャーに負けた例は数多い。
大半の人はこう考えていただろう。
「レイソルの勢いも、いつか止まるのではないか ーー。」
しかしそんな予想を裏切り、柏レイソルはJ1で8チーム目のチャンピオンとなった。
振り返ってみれば開幕戦の1試合を消化した時点で東日本大震災が起こり、未曽有の大災害の中で幕を開けた今シーズン。
そんな波乱のシーズンが波乱のフィナーレを迎えたことも、そう不思議なことではなかったのかもしれない。
ところで柏レイソルの優勝の要因はどこにあったのだろうか。
僕が考える勝因は、月並みだけれど次の3つにまとめられる。
1つ目は『優良外国人選手の大活躍』。
2つ目は『若手選手の台頭と、ベテランの復活』。
3つ目が『ネルシーニョ監督の采配』だ。
1つ目の勝因に関しては多くを語る必要もないだろう。
レアンドロ・ドミンゲスとジョルジ・ワグネル、2人のブラジル人がレイソルのキーマンであることは誰の目にも明らかだったし、その実力がJリーグ全体でも別格だったのは間違いない。
レアンドロ・ドミンゲスのゲームメイクとジョルジ・ワグネルのチャンスメイク。
それぞれの特長も際立っていたけれど、ともにリーグで15点、11点を決めた得点力が特に素晴らしかった。
また、2人揃ってフリーキックの達人(しかも利き足が逆)であることが、相手の守備陣に見えないプレッシャーを与えた側面も無視できない。
いずれにしてもこの2人の存在無くして、レイソルの快挙は無かったはずだ。
そして2つ目の要因は「若手の成長」。
個人的にはこの部分が非常に大きかったと感じている。
今やU-22日本代表で不可欠な存在となった酒井宏樹、シーズン13得点をマークした田中順也らを筆頭に、工藤壮人、茨田陽生、橋本和などのほぼ無名だった若手たちがシーズン中に急成長。
彼らの上昇曲線に比例してチーム力もアップしていったことが、この「ミラクル優勝」の隠れた要因だったのではないだろうか。
さらにそこに、北嶋秀朗、増嶋竜也、近藤直也、水野晃樹といった選手たちの「復活劇」が加わる。
かつては高校サッカーの舞台で、もしくはアンダー世代の日本代表として華々しいキャリアを築きながら、その後はJ2を経験するなど「忘れられた存在」になりつつあった選手たち。
その彼らがまるで生まれ変わったかのように再生を果たし、経験の浅い若手たちを引っ張った。
そしてその若手・ベテランたちを、大谷秀和・栗澤僚一・菅野孝憲といった中堅世代が支え、気がつけばレイソルは少々メンバーが入れ替わっても戦力が落ちることのない、堅牢なグループを築き上げていた。
この層の厚さも、レイソルが1年を通じて安定した戦いを続けられたポイントだったように思う。
そうは言っても若手の成長もベテランの復活劇も、そうそう簡単に実現できることではない。
柏レイソルがそれらを成功させることができた理由は、おそらく次の3つ目の要因に集約されるだろう。
つまりネルシーニョ監督の存在こそが、レイソル躍進の「最大の鍵」だったと僕は感じたのだ。
“ネルシーニョ” という名前が日本のサッカー界でクローズアップされたのは最近のことではない。
むしろJ草創期を知るファンからすれば懐かしさを感じさせる名前だと言ってもいいだろう。
ネルシーニョが初めて日本の地を踏んだのは今から17年前、1994年のことだった。
当時、日本最強を誇ったヴェルディ川崎で松木安太郎監督の “参謀役” として迎えられると、実質的な指揮官として采配を振るい、この年のJリーグを制覇。
翌年には正式な監督に昇格して、この年も2ndシリーズ優勝という実績を残した。
そしてその年の終盤には、指導力に疑問が持たれていた加茂周監督の後任として、加藤久が委員長を務めていた日本サッカー協会強化委員会から日本代表監督への推薦を受ける。
この時、ネルシーニョの代表監督就任はほぼ決定しかけていたのだけれども、その直後、当時のサッカー協会会長だった長沼健の鶴の一声で加茂監督の続投が決まった。
サッカー協会内のパワーゲームに翻弄された格好となったネルシーニョは記者会見に臨み、「日本協会の中には腐ったミカンがいる」と協会を痛烈に批判したことが当時大いに話題となったものである。
ちなみにどうでもいい話だけれども、「腐ったミカン」という表現を使うのが金八先生の中だけではないことに驚いた人は、この時僕だけではなかったことだろう。
けっきょく失意のまま日本を去ったネルシーニョが再び日本に戻って来たのは2003年、名古屋グランパスの監督としてだった。
ヴェルディ退団からは7年あまりのブランクが空いていたけれど、その間もネルシーニョはインテルナシオナル、コリンチャンス、クルゼイロ、サンパウロ、フラメンゴといったブラジルのビッグクラブで次々と指揮を執り、クルゼイロではコパ・リベルタドーレスを制して南米チャンピオンに輝いてトヨタカップにも出場している。
もともとヴェルディ入団以前の1990年にもコリンチャンスでブラジル全国選手権を制した実績を持っていて、ネルシーショはサッカー王国ブラジルでも屈指の名将だった。
ただしそのネルシーニョも、グランパス時代の成績はパッとしなかった。
指揮を執り始めた2003年の2ndステージは8位。
続く2004年の1stステージも8位。2ndステージが5位。
そして翌2005年には、成績不振を理由にシーズン途中で解任されてしまう。
ネルシーニョほどの実績を持つ監督がグランパスで成功できなかったことは、いま振り返ってみても不可解である。
その原因としては、ネルシーニョが前任者であるズデンコ・ベルデニックのカラーを排除しようとして選手の入れ替えを強引に進め過ぎたことや、当時のエースだったウェズレイとの関係が日毎に悪化していったことが挙げられている。
とりあえずこのグランパス時代の成績不振が元で、「ネルシーショ=過去の人」というイメージが日本では定着してしまった感があった。
だから4年後の2009年にネルシーショが柏レイソルの監督に就任してもそう騒がれることは無かったし、シーズン途中からの采配とは言え、レイソルをJ2に降格させてしまっても、それでネルシーニョの評価が大きく変わることもなかった。
それだけに、翌2010年からのレイソルとネルシーニョの「大リベンジ劇」には驚きが伴う。
しかしグランパス時代とレイソルでの1年目を除いてネルシーニョの残した実績を見てみれば、それが決してフロックではなかったことは説明がつくだろう。
かつて無敵だった時代の読売クラブ、そしてヴェルディ川崎。
その両チームで主力だったラモス瑠偉や都並敏史は、口を揃えて「ネルシーニョが最高の監督だった」とその手腕を称えている。
ネルシーショの指導はとにかく的確で、負けている試合のハーフタイムで「何が悪くてこうなっているのか、どうすれば改善されるのか」を具体的に指摘する卓越した戦術眼を持っていること。
そして選手たちのメンタルを面を掌握し、モチベーションを管理する高い手腕を持っていることがその理由である。
ちなみに人間的にも尊敬できる素晴らしい人物だということだ。
サッカー王国でも指折りの戦術家であり、またモチベーターでもある名将。
ヴェルディ時代は、試合の途中に4バックと3バックを切り替えるような大胆な采配が印象的だったけれど、その切れ味は現在も失われてはいない。
前節セレッソ大阪戦では後半3分に先制を許すも、その6分後に間髪入れずに水野晃樹を投入。
その水野のミドルシュートを起点に同点劇を演出した。
そして優勝を決めた浦和レッズ戦でも、この大舞台で若い茨田陽生を先発起用。
その茨田の活躍もあってレイソルは中盤を支配し、茨田の挙げた3点目が優勝を決定付けた。
常に先手を打つアグレッシブな采配で主導権を握り続けた柏レイソルが、シーズンが終わった時、気がつけば「ミラクル」を達成していたという印象である。
ところでJ1優勝という歴史を刻んだレイソルだけれども、このサクセスストーリーはまだ終わってはいない。
12月8日には、そのレイソルが開催国代表として出場するクラブワールドカップが開幕する。
レイソルの誇る2人のブラジル人選手が、そして若手たちが、ネルシーニョ監督の采配が、世界の舞台でどこまで通用するのか。
僕はそれを見届けることがとても楽しみだ。
そして遅ればせながら最後に、柏レイソルにこの一言を贈りたいと思う。
柏レイソルの皆さん、優勝おめでとう!!!
その19年間で今年ほど「波乱のシーズン」という表現が似合う年はなかっただろう。
新チャンピオンは柏レイソル。
今シーズンにJ2から昇格したばかりのチームがJ1で優勝するのは史上初。
世界の主要リーグを見ても、ドイツの1.FCカイザースラウテルンが97-98シーズンに快挙を達成しているものの、相当なレアケースだと言える。
そんな金字塔が、柏レイソルによってJの歴史の中に打ち立てられた。
ちなみに今シーズンのレイソルが初めて首位に立ったのは、実は開幕戦の終了時点である。
清水エスパルスに3-0と快勝して好スタートを切ると、8月下旬に4位まで落ちた時期を調子の底として、シーズンを通して上位をキープ。
秋口から再び調子を上げると、残り5試合の段階で首位に返り咲き、そのまま優勝まで駆け抜けた。
しかしこの快進撃をシーズン前から予想した人はほとんど居なかったことだろう。
結果的に2位となった名古屋グランパスのストイコビッチ監督は、レイソルの強さを称えながらも「柏の優勝はサプライズ」と心情を吐露し、レイソルの酒井宏樹や橋本和は「(シーズン前は)優勝なんて考えもしなかった」と声を揃えた。
プレーしている選手たちですらそうなのだから、見ている側は尚のことである。
さらに言えばこれまでのJの歴史の中でも、2005年のセレッソ大阪や2007年の浦和レッズなど、半ば優勝を手にしながら最後の最後でプレッシャーに負けた例は数多い。
大半の人はこう考えていただろう。
「レイソルの勢いも、いつか止まるのではないか ーー。」
しかしそんな予想を裏切り、柏レイソルはJ1で8チーム目のチャンピオンとなった。
振り返ってみれば開幕戦の1試合を消化した時点で東日本大震災が起こり、未曽有の大災害の中で幕を開けた今シーズン。
そんな波乱のシーズンが波乱のフィナーレを迎えたことも、そう不思議なことではなかったのかもしれない。
柏レイソルの「ミラクルの鍵」
僕が考える勝因は、月並みだけれど次の3つにまとめられる。
1つ目は『優良外国人選手の大活躍』。
2つ目は『若手選手の台頭と、ベテランの復活』。
3つ目が『ネルシーニョ監督の采配』だ。
1つ目の勝因に関しては多くを語る必要もないだろう。
レアンドロ・ドミンゲスとジョルジ・ワグネル、2人のブラジル人がレイソルのキーマンであることは誰の目にも明らかだったし、その実力がJリーグ全体でも別格だったのは間違いない。
レアンドロ・ドミンゲスのゲームメイクとジョルジ・ワグネルのチャンスメイク。
それぞれの特長も際立っていたけれど、ともにリーグで15点、11点を決めた得点力が特に素晴らしかった。
また、2人揃ってフリーキックの達人(しかも利き足が逆)であることが、相手の守備陣に見えないプレッシャーを与えた側面も無視できない。
いずれにしてもこの2人の存在無くして、レイソルの快挙は無かったはずだ。
そして2つ目の要因は「若手の成長」。
個人的にはこの部分が非常に大きかったと感じている。
今やU-22日本代表で不可欠な存在となった酒井宏樹、シーズン13得点をマークした田中順也らを筆頭に、工藤壮人、茨田陽生、橋本和などのほぼ無名だった若手たちがシーズン中に急成長。
彼らの上昇曲線に比例してチーム力もアップしていったことが、この「ミラクル優勝」の隠れた要因だったのではないだろうか。
さらにそこに、北嶋秀朗、増嶋竜也、近藤直也、水野晃樹といった選手たちの「復活劇」が加わる。
かつては高校サッカーの舞台で、もしくはアンダー世代の日本代表として華々しいキャリアを築きながら、その後はJ2を経験するなど「忘れられた存在」になりつつあった選手たち。
その彼らがまるで生まれ変わったかのように再生を果たし、経験の浅い若手たちを引っ張った。
そしてその若手・ベテランたちを、大谷秀和・栗澤僚一・菅野孝憲といった中堅世代が支え、気がつけばレイソルは少々メンバーが入れ替わっても戦力が落ちることのない、堅牢なグループを築き上げていた。
この層の厚さも、レイソルが1年を通じて安定した戦いを続けられたポイントだったように思う。
そうは言っても若手の成長もベテランの復活劇も、そうそう簡単に実現できることではない。
柏レイソルがそれらを成功させることができた理由は、おそらく次の3つ目の要因に集約されるだろう。
つまりネルシーニョ監督の存在こそが、レイソル躍進の「最大の鍵」だったと僕は感じたのだ。
ブラジルの誇る名将、ネルシーショ
“ネルシーニョ” という名前が日本のサッカー界でクローズアップされたのは最近のことではない。
むしろJ草創期を知るファンからすれば懐かしさを感じさせる名前だと言ってもいいだろう。
ネルシーニョが初めて日本の地を踏んだのは今から17年前、1994年のことだった。
当時、日本最強を誇ったヴェルディ川崎で松木安太郎監督の “参謀役” として迎えられると、実質的な指揮官として采配を振るい、この年のJリーグを制覇。
翌年には正式な監督に昇格して、この年も2ndシリーズ優勝という実績を残した。
そしてその年の終盤には、指導力に疑問が持たれていた加茂周監督の後任として、加藤久が委員長を務めていた日本サッカー協会強化委員会から日本代表監督への推薦を受ける。
この時、ネルシーニョの代表監督就任はほぼ決定しかけていたのだけれども、その直後、当時のサッカー協会会長だった長沼健の鶴の一声で加茂監督の続投が決まった。
サッカー協会内のパワーゲームに翻弄された格好となったネルシーニョは記者会見に臨み、「日本協会の中には腐ったミカンがいる」と協会を痛烈に批判したことが当時大いに話題となったものである。
ちなみにどうでもいい話だけれども、「腐ったミカン」という表現を使うのが金八先生の中だけではないことに驚いた人は、この時僕だけではなかったことだろう。
けっきょく失意のまま日本を去ったネルシーニョが再び日本に戻って来たのは2003年、名古屋グランパスの監督としてだった。
ヴェルディ退団からは7年あまりのブランクが空いていたけれど、その間もネルシーニョはインテルナシオナル、コリンチャンス、クルゼイロ、サンパウロ、フラメンゴといったブラジルのビッグクラブで次々と指揮を執り、クルゼイロではコパ・リベルタドーレスを制して南米チャンピオンに輝いてトヨタカップにも出場している。
もともとヴェルディ入団以前の1990年にもコリンチャンスでブラジル全国選手権を制した実績を持っていて、ネルシーショはサッカー王国ブラジルでも屈指の名将だった。
ただしそのネルシーニョも、グランパス時代の成績はパッとしなかった。
指揮を執り始めた2003年の2ndステージは8位。
続く2004年の1stステージも8位。2ndステージが5位。
そして翌2005年には、成績不振を理由にシーズン途中で解任されてしまう。
ネルシーニョほどの実績を持つ監督がグランパスで成功できなかったことは、いま振り返ってみても不可解である。
その原因としては、ネルシーニョが前任者であるズデンコ・ベルデニックのカラーを排除しようとして選手の入れ替えを強引に進め過ぎたことや、当時のエースだったウェズレイとの関係が日毎に悪化していったことが挙げられている。
とりあえずこのグランパス時代の成績不振が元で、「ネルシーショ=過去の人」というイメージが日本では定着してしまった感があった。
だから4年後の2009年にネルシーショが柏レイソルの監督に就任してもそう騒がれることは無かったし、シーズン途中からの采配とは言え、レイソルをJ2に降格させてしまっても、それでネルシーニョの評価が大きく変わることもなかった。
それだけに、翌2010年からのレイソルとネルシーニョの「大リベンジ劇」には驚きが伴う。
しかしグランパス時代とレイソルでの1年目を除いてネルシーニョの残した実績を見てみれば、それが決してフロックではなかったことは説明がつくだろう。
柏レイソル、そして「世界」へ。
かつて無敵だった時代の読売クラブ、そしてヴェルディ川崎。
その両チームで主力だったラモス瑠偉や都並敏史は、口を揃えて「ネルシーニョが最高の監督だった」とその手腕を称えている。
ネルシーショの指導はとにかく的確で、負けている試合のハーフタイムで「何が悪くてこうなっているのか、どうすれば改善されるのか」を具体的に指摘する卓越した戦術眼を持っていること。
そして選手たちのメンタルを面を掌握し、モチベーションを管理する高い手腕を持っていることがその理由である。
ちなみに人間的にも尊敬できる素晴らしい人物だということだ。
サッカー王国でも指折りの戦術家であり、またモチベーターでもある名将。
ヴェルディ時代は、試合の途中に4バックと3バックを切り替えるような大胆な采配が印象的だったけれど、その切れ味は現在も失われてはいない。
前節セレッソ大阪戦では後半3分に先制を許すも、その6分後に間髪入れずに水野晃樹を投入。
その水野のミドルシュートを起点に同点劇を演出した。
そして優勝を決めた浦和レッズ戦でも、この大舞台で若い茨田陽生を先発起用。
その茨田の活躍もあってレイソルは中盤を支配し、茨田の挙げた3点目が優勝を決定付けた。
常に先手を打つアグレッシブな采配で主導権を握り続けた柏レイソルが、シーズンが終わった時、気がつけば「ミラクル」を達成していたという印象である。
ところでJ1優勝という歴史を刻んだレイソルだけれども、このサクセスストーリーはまだ終わってはいない。
12月8日には、そのレイソルが開催国代表として出場するクラブワールドカップが開幕する。
レイソルの誇る2人のブラジル人選手が、そして若手たちが、ネルシーニョ監督の采配が、世界の舞台でどこまで通用するのか。
僕はそれを見届けることがとても楽しみだ。
そして遅ればせながら最後に、柏レイソルにこの一言を贈りたいと思う。
柏レイソルの皆さん、優勝おめでとう!!!
大阪在住・横浜出身のサッカーファンがサッカーへの愛を書き綴ったブログ。日本代表、J、海外から女子サッカーまで追いかけています。