“篠山紀信、デビュー” 篠山紀信が語った“3・11以後の表現のあり方”<中編>

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 写真家・篠山紀信氏が3月11日に発生した東日本大震災の被災地を、新たな視点、そして感性で撮影した写真集『ATOKATA』(日経BP社/刊)。それは、報道写真とは一線を画した仕上がりになっている。

 3回に分けてお送りしている篠山氏の単独インタビュー、前編は被災地と初めて対峙したときの混乱、戸惑いについてお話をうかがった。そして中編となる今回は、「3・11」以前と以後の、表現の在り方の変化を中心に語っていただいた。
 「これで変わらないと、アーティストをやっている意味はない」とまで言う篠山氏の「変化」とはどのようなものだったのか?
(新刊JP編集部/金井元貴)


■中編:3・11以後の表現はどう変わるか

―『日経コンストラクション』2011年6月13日号の中で、篠山さんが「3・11」以前と以後では表現のあり方が変わってくると述べられています。あれから8ヶ月あまりが経って、変わった部分はありましたか?

「自然に対する畏敬の念というのもそうだし、この写真集の終わりに被災された方々の写真を掲載しているのですが、この人たちは本当にボランティアで被災地に来ている方々と全然違う表情をしているんですよね。それはどうしてかというと、津波が襲ってきたときに、手を差し伸べて引っ張りあげれば助かるというときにその手がスルっと抜けてね、相手が亡くなって、自分は生き残ったというようなギリギリなところを体験した人たちなんです。
3月11日14時46分に地震が起きて、その1時間後に津波が来るまでは普通の生活をしていたのに、その後の一撃で全く生と死が分かれるという不条理。それを体験した人たちって、考え方も変わると思うんですよ。僕は被災地に広がる自然を見たときに、そしてその自然に対して畏怖と畏敬の念を持ったときに、人間が生きていることそのものが奇跡的だと感じたんです。実は何でも起こり得るんですよね。原発事故もそう。あらゆることが起こるんだ、と生々しく突きつけられた。表現そのものも、予定調和の中で物を作るのではなく、世界の不条理さを認識しながら作るという全く違う部分にシフトしていると思いますね」

―人間という存在そのものが、元来自然であるべきだと思うんですね。

「そうそう。そうなんだよね。ただ、それが不自然になってきていた」

―そうなんですよね。人間が自分たちをどんどん不自然にさせていった部分が必ずあって、そうした過程の中で今回の震災が起きた。つまり、今おっしゃっていた予定調和が崩れた。

「ある価値観が瓦解していっちゃったんだよね」

―そういうことが起きたとき、表現する人間はおそらく混乱すると思うんですね。

「ええ、すごい混乱ですよ。大混乱です。この写真集を見ていただくと分かると思うのですが、現代美術家が作ろうとしていたものを、津波が一瞬のうちに作ってしまった。これは表現者にとって、ものすごくショックなことですよね」

―震災後の混乱という意味では、作家の村上春樹さんが阪神大震災が起きてしばらくあとに、『神の子どもたちはみな踊る』という不思議な作品を執筆されたんですね。どうしてこんな作品を書いたのだろう、と疑問に思ったのですが、ただ、一つだけ言えるのは、やはり震災に対する混乱が見えるんですよ。そうした事態が今回も起きているわけですよね。

「起きていますね。だから、アーティストが震災後に作ったものを発表していくのはこれから後になってくると思いますが、『3・11』以前と以後では敏感な人は変わるでしょうね。これで変わらないと、アーティストをやっている意味はあまりないんじゃないかな」

―『ATOKATA』の中に、ところどころ真っ白なページが差し込まれているのですが、その理由について教えていただけますか?

「これは、この写真集を読み進めるなかで、真っ白な感覚に戻して次の新たな写真に行ってもらいたいという気持ちでところどころに入れました。一回無にして、新たな気持ちで写真と向き合うというかね。また、そういう意味のほかにも、ある一つの共通したテーマが終わって次のテーマに向かうときに一回改めるということで白くしている部分もあります」

―『ATOKATA』、すごく良いタイトルだと思うのですが、これは篠山さんがお考えになられたのですか?

「そうですね、僕が考えました。『跡形もない』という言葉はよく使うけど、跡形という言葉だけではあまり使いませんよね。でも、跡形はあるんですよ。これが僕の跡形。だから『ATOKATA』でいこうと思ったんですよね」

―『ATOKATA』という言葉をタイトルにしようと思ったのは撮り始めの頃ですか?

「いや、そうではないですね。この写真集は、僕の作品の中でもすごく試行錯誤していて、僕自身も混乱しながら、実はいろいろなものを撮影したんですよ。先ほどお話した泥まみれの家族写真(*インタビュー前編を参照のこと)もそうだし、自衛隊が復興のために活動している写真、半ば泥まみれの仙台空港に飛行機が降り立つ写真とか、すごく新鮮に見えてくるんですよね。
この写真集はほとんど撮った順に並べているのですが、一番初期の頃に仙台の若林区荒浜で撮影した写真は、防風林が軒並み倒されているところなんです。この光景は遠くから見たら北欧のきれいな風景に見えますよ。ただ、よく見てみると海水をかぶって葉っぱが赤くなっていたり、木の皮が剥けていたり、想像できないような形に変わっていたりしているんです。そのときに、自然が自然を破壊して新しい自然をつくり上げたことに気づきました。そのあたりから物の見方が変わっていって、2回目に行ったのが1ヶ月後だから…」

―5月27日から29日に2回目の撮影を行ったんですよね。

「そうそう。そのときには僕の見方が定まっていましたね。後半に水墨画の風景みたいな写真があるのですが、報道写真だったらこんな風には絶対撮らないですよね。撮っても意味がないし。でも、僕にとっては新しい自然なんですよ。見たことのない光景なんですよね」

<後編に続く>

■篠山紀信氏の写真展「KISHIN SHINOYAMA PHOTO EXHIBITION “ATOKATA”」開催
日時:2011年11月22日(火)〜12月15日(木) 10:00〜19:00
会場:Audi Forum Tokyo(東京都渋谷区神宮前6-12-18ジ・アイスバーグ)
特別協賛:アウディ ジャパン
協力:PLAZA CREATE、PHOTO NET
制作:SUNプロデュース
企画:STEP
入場料:無料
詳細は下記のURLにて
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/const/news/20111116/555499/


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