高知県山村の地味寺は切なく愛しい

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京都、東京と新旧の都を歩いてきたが、今度は地方の地味寺をまわろう。お寺というのは「人」がいない土地では成立しない。「仏」というものは、人の生死、苦楽に寄り添うものだからだ。人がいなくなると、お寺は潰れていく。具体的には、墓を守る人々=檀家がいなくなると、お寺の経済基盤が失われ、維持できなくなるのだ。過疎が進む地方では、都会とはまったく異なる事情で地味寺になっていくお寺が出てくる。
写真の寺は、妙福寺(真言宗智山派)。高知県の中西部、越知町にある。この町は、平家の落ち武者に守られて安徳天皇が落ち伸びてきたという伝承がある。いわゆる「平家の隠れ里」だが、鉄道が通っていないこともあり、ほぼ毎年100人ずつ人口が減少している。かつて1万人を超えていた人口は6400人にまで落ち込んでいる。


人口が減れば、お寺を維持する檀家も減ってくる。老朽化しても修理したり建て直すことができなくなる。そこで、上の写真のように簡易な建物で間に合わせるようになる。こうして地味寺が生まれるのだ。戦後に再鋳造された鐘も、トタン屋根の鐘楼に下がっている。静かに終わりの時を待っているかのようだ。



越知町には確認できただけで6つのお寺があったが、このうち3つが地味寺だ。横倉山の山裾にある横倉寺(本山修験宗)。由緒あるお寺なのだが、恐らくは伽藍が朽ち果てて、簡易な建物に置き換わっている。


ごく普通の民家のような建物に、寺号の看板が下がっているのだ。ただ、不思議なことに、普通の民家とはどこか違う、風格のようなものを感じる。



横倉寺は山岳寺院であり、修験道の人々が護摩を炊く。本堂の前には護摩壇が設けられている。お寺は簡素だが、人々が境内をこまめに手入れしているので、清らかな空気が保たれているのだ。
越知町は、平地の少ない山村だ。西部にある遍照寺は、仁淀川を見下ろす丘の上の石垣の上に立っている。近年に建物は建てられたようで、新しい民家風だ。しかし、この寺は、真言宗の教えを広げようと意欲的だ。建物が建て増しされ、新しい仏像も置かれている。人口は減少しているが、ここで生活する人に何がしかの救いや安らぎを与えようとしているのだ。



石積みの上に立つ弘法大師像は、丘の上から大きくうねる仁淀川を見下ろしている。周囲には採石場がある程度だが、こうしたところにも、人の営み、仏の足跡があることを知ると、何やら愛おしい気持ちがわいてくる。









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