01_お伊勢の森バス停

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これまで当カテゴリでは、都心の失われた地名がバス停に残る事例をいくつかご紹介してきましたが、今回はその典型例のひとつともいえる、関東バスの「お伊勢の森」バス停をご紹介します。場所は中央線阿佐ヶ谷駅の北東、ちょうど杉並区と中野区の境界となる早稲田通り上です。早稲田通りといえば、中央線に並行した中野・杉並エリアの幹線道路であり、片側1車線の道路は常に渋滞気味で、周囲の街並みにも「お伊勢の森」の名にふさわしいような景観は見られませんが、近くにそれらしき名残だけでもないかと地図を広げてみると、バス停から比較的近い場所に、大きく緑色で描かれた「森」が2ヶ所あることに気付きます。まずはそのひとつ目、バス停から中野区側に少し入ったところの蓮華寺を訪ねてみます。
02_蓮華寺山門

早稲田通りから斜めに分かれる狭い通りを少し歩くと、程なく蓮華寺の朱塗りの山門が見えてきます。門をくぐると、緑に囲まれた境内が広がり、すぐ右手の木立の合間には水量豊かな湧水池も見えます。この寺は、明治41年に茗荷谷から移転してきたもので、本堂脇には、旧地に近い初代切支丹奉行井上筑後守政重の下屋敷に立てられていた「山荘の碑」が保存されています。宗門改役だった井上政重の屋敷は、俗に切支丹屋敷と呼ばれ、切支丹宗徒監禁の牢屋敷として拷問や処刑が繰り返されたといいますが、碑はそうした獄死者を悼むものとして立てられたもので、屋敷が火災で焼失し、この寺へ移されたと伝えられます。

あいにく蓮華寺では、「お伊勢の森」についての情報は得られませんでした。「お伊勢」というからには、お寺ではなく神社にゆかりの地名のようです。そこで、地図にあるもうひとつの緑の「森」、杉並区側の馬橋公園へと向かいます。
03_馬橋公園

早稲田通りから南へ少し入ると、間もなく住宅街に囲まれた馬橋公園が見えてきます。ここはもともと陸軍気象部の置かれた場所で、これが後に中央気象台の分室となり、昭和31年からは気象庁気象研究所となっていましたが、同55年に研究所がつくば市へ移転し、跡地が公園として整備されました。研究所時代の名残として、現在も公園裏手には、気象庁の官舎が残ります。

住宅密集地ともいえるこの界隈で、これだけの広々とした土地が公園として残されたことは貴重ですが、こちらもその経緯からして「お伊勢の森」とは無縁のようです。では他に何かないかと思い、改めて地図を広げると、バス停から南西方向の住宅街の一画に、小さな公園を示す緑の表示をもうひとつ見つけました。馬橋公園から真っ直ぐ西へ300メートル程なので、早速向かってみます。
04_お伊勢の森児童遊園

公園は小さなすべり台とブランコがあるだけで、ミニ広場という雰囲気ですが、入口に「お伊勢の森児童遊園」の表示があり、ようやく「お伊勢の森」ゆかりの地に辿り着いたようです。ざっと見る限り、その由来を記したような説明板も見当たらないので、後日調べてみたところ、この公園とバス停の間にある杉森中学校付近が、現在は阿佐ヶ谷駅の北にある神明宮(天祖神社)の旧社地であり、伊勢神宮同様に天照大神を祭神としたことから、境内をお伊勢の森と俗称したとのこと。神明社の移転は江戸中期の頃のようですが、戦前の杉並区の地図では、旧社地に「御伊勢の森」の表記があり、神明社移転後もこの付近に「お伊勢の森」の地名が定着していたものと思われます。杉森中学校の校舎落成が戦後の昭和30年頃のようですから、その頃を境に「森」は急速に消滅していったのでしょう。
05_お伊勢の森の碑

公園を後にしようとしたところ、北西角の茂みの中に何やら説明書きのようなものが。もしやと思い草をかき分けてみると、そこには区が設置した碑が埋没しているではありませんか。土を掃って読んでみると、「天祖神社旧地」と彫られた石柱がこの地にあったこと、その石柱の裏面には「老松や 青く茂りて 御伊勢山 ときの巣造る 神徳の松」と刻まれていたことなどが、簡単に記されています。すぐ横に二羽のトキの像があるのは、これに因んでのことでしょう。

トキが飛来するほどの深く静かな森がこの地にあったかと思うと、もうしばらく周辺をぶらぶらしてみたくなりました。バス停をきっかけに、ちょっとした街歩きに加え、その土地の歴史を探る楽しみも味わえるとは、贅沢な散歩になりました。
06_三級基準点マンホ

最後に、馬橋公園前の歩道で見つけた「三級基準点」のマンホールをパチリ。地球儀のデザインが目を惹きます。



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