『キン肉マン』原作者・ゆでたまご嶋田隆司先生の悲願でもある、キン肉マンのリング登場。先生曰く、当日、来場者に驚いて貰うため「できるだけイベントの中身は出しなくない」とのこと。一体どんなイベントになるのだろうか?

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昨年、生誕29(ニク)周年を迎えた国民的人気漫画『キン肉マン』は、記念イヤーの盛り上がりをそのままに、今年は今年で30周年という大きな節目に到達した。

これまでにも、様々な記念イベントの開催やコラボ・グッズのリリースで、我々“肉フリーク”達を楽しませてくれた一年半となったのだが、その集大成として、5月29日(金)=日本記念日協会から認定された3度目の“キン肉マンの日(29日の金曜日)”、遂にリアル・プロレスイベント『キン肉マニア2009』の開催が発表された。

舞台は、東京ドームシティに新設されたJCBホールとなり、現段階では、まだまだその詳細は謎に包まれている部分が多い。だが、ファンの期待も大きく膨らみ、早くもVIP席<女房を質に入れてでも行かねばシート>は完売。チケット・プレイガイドでも、主要シートは残り僅かというか、ほぼ無くなってきている。(急げ!)

大会を約3週間後に控え、まだまだ知りたいこと、聞きたいことは尽きない。

というわけで、恐れ多くも、大会準備から打ち合わせ、本編II世の連載と、多忙を極めるゆでたまご 嶋田隆司先生を直撃することにした。

――記念イヤーに火をつけたのは、やっぱり第一回目の“キン肉マンの日”に行われた「キン肉マン映画祭」でしたね。

「29周年の前年の暮れあたりにですかね。日本記念日協会から、29日の金曜日を“キン肉マン”の日に制定してくれるという連絡を貰いまして、その認定書の授与をやりたいと言われたのがきっかけだったんです。で、その翌年にはDVDも発売されることになってましたから、だったら、イベントをやりましょうってなったんですよね」

――キン肉マン単体のイベントというのも珍しいですよね。

「初めてじゃないですかね。でも、金曜日にやるイベントって言っても、僕も相棒(中井先生)も、だいたい金曜日は原稿やってるんですよ(笑)。

だから、無理ですねって答えてたら、関係者の方から“是非出て下さい”って言われまして、僕も当初はそんな大きいイベントではないと思っていたので了承したんですよ。でも、蓋を開けてみたら、チケットは即日完売で、そんな宣伝もしてないのに“なんで!?”って思ったんですよね」

――そうですね。映画祭では、チケット即完売伝説や、PRIDEでお馴染み・佐藤大輔さんによるキン肉マンの煽りVTRも話題になりました。

「あれだけお客さんも入ってくれましたし、預言書とか金のマスク、銀のマスクを飾ってれば、皆さん、携帯で写真とか撮ってくれたり、キンケシの取り替えっことかもあったんですよね? ファンの方にとっては、こういう場所が求められていたのかなって」

――童心にも返れましたし、私も取材とは言え、100%楽しんでやっていました。

「キン肉マンを語り合いたいっていうね。僕らも、普段ファンの方と触れることができないわけじゃないですか? なんか、またやりたいなって思いましたよね」

――それまで、読者の方と触れ合う機会っていうのは?

「全然なかったですね。うちうちで10周年、20周年ってパーティをやりましたけど、(読者を入れたのは)初めてですね。そりゃ、嬉しかったですよ。

映画祭も最後まで観てましたけど、ファンの方から“先生、またこんなイベントやって下さい”なんて言われて、それが凄く心に残ってましてね。東映さんもビックリしてて、東京だけでやるのは勿体ないというか、地方にいるファンにも見せてあげたいねって」

――それでUWF伝説ですか?
※嶋田先生は、映画祭のチケットが即日完売したことや、次回は地方の読者にも参加してほしいところから、5月29日に行われる『キン肉マニア』のイベントを“UWF伝説”(チケット即売&ファン密航)に例えていた

「それは、やりたかったですね(笑)。

集英社さんとしても、プロレスの興行をやるなんて初めてだし、僕がイベントをやりたいと言ったときも戸惑っていました。しかし、“キン肉マンは集英社にとっても偉大な作品なんで協力したい”って言ってくれましたからね」

――映画祭の後も、DVDやキンケシのイベント。テレビ朝日「アメトーーク!」でのキン肉マン芸人。第ニ回目の“キン肉マンの日”には牛丼とのタイアップもありましたね。記念グッズでは、Tシャツ、キャップ、ジーンズ、フィギュアと、やり過ぎだっていう声もあったでしょうけど、ここまで徹底された記念イヤーというのは、前代未聞だと思うのですね。

「本当にそうですね」

――先生も連載の制作のみならず、打ち合わせだ、イベントだと本当に忙しい一年になったと思いますが、関われるものには全て関わった――。そこまで先生を動かしたモノはなんだったのでしょうか?

「29周年という中途半端な、まあ、シャレで言ったことを本当に皆さんが面白がってくれて、色々なお話しも集中的に舞い込んできました。これには、本当に感謝していますし、僕もキン肉マンを実際のリングに上げるということを前々から考えていたわけですが、その布石になればいいかなというのもありましたね」

――キン肉マンのリング登場は一つの悲願ですね。

「映画祭のときにも言いましたし、色々な話もあって、年末の万太郎(K-1 Dynamite!!出場)までいくわけなんですけどね。29周年にしても、最初は“どうなんのかな?”って思ったんですけど、皆さん、本当にシャレを分かってくれて」

――以前、このコラムで書いたのですが、どのプロジェクトにも共通して言えるのが、全てが相手方から持ち込まれた企画であり、キン肉マンを愛してやまなかった少年達が大人になった今、それぞれの仕事においても力を発揮できる位置についた。そんな“あの頃の少年達”による、何かしら作品に関わりたい、恩返しをしたいという気持ちの表れが、29周年を支えた数々のサービスや商品だったと感じています。

「皆さん、良い物を作ってくれてましたよね。本当に僕なんかがチェックしなくても。中には、高価なグッズなんかもありましたけど、それでも、ファンの方は買ってくれたりして」

――さて、こうした記念イヤーの集大成にもなる『キン肉マニア2009』ですが、構想の存在は聞いたこともありましたが、イベントが具体的になったきっかけというのはあるのでしょうか?

「古くは色んな団体さんからありましたよね。新日本プロレスから。あと、大仁田厚さんがやりたいって言ってきたり」

――新日本プロレスで、昔にあった平田選手がキン肉マンになるという話しも、オフィシャルではないんですよね?

「違いますね。あれは、猪木さんが僕たちに会いたいってことでしたけど、あの頃はタイガーマスクがいなくなった頃なんですよ。そしたら、キン肉マンをリングに上げるという話しをされて。

でも、タイガーのキャラクターにしても、佐山聡さんが凄かったわけですよね。また、三沢さんなんかも何のマスクを被っても活躍されたと思うんですけど、タイガーマスクを被ったがためにプレッシャーになったりとか。そういう意味では、キン肉マンに相応しいレスラーが出てくるまでは、ちょっと無理かなって思ったんですよね」

――そうだったのですね。

「そしたら、時代はどんどん流れ、UFCに、何でもアリという風になってきますし、プロレスというよりも総合格闘技がきてしまうわけですよね。でも、何にしても、キン肉マンが負けるわけにはいかないですし、5年くらい前から選手を探し始めましてね」

――えっ、そんな前から具体化していたのですか?

「マルセロ・ガッシアをキン肉マンにしようとした時もありましたね(笑)」

――えええっー!?

「はい。あの動きでキン肉マンのマスクを被ってMMAやったら、すごいことになりそうだなって(笑)」