東日本大震災復興チャリティー「ドリームテニス ARIAKE」で、凱旋帰国をした錦織圭が、復興への願いを込めながら有明コロシアムでプレイした。

 錦織は、2009年に引退した元プロテニスプレイヤー・杉山愛と組んで、クルム伊達公子/松岡修造ペアを相手にミックスダブルスをしたり、1989年に17歳でローランギャロス(全仏)優勝を果たしたマイケル・チャン(アメリカ)と世代を越えて対戦したりした。

「被災地を訪れ、被災者に会って、いろいろな思いを抱き、言葉が出なくなったり、このままテニスをするのに意味があるのかなと思ったりもした。でも、自分にはテニスしかない。あらためてテニスへの想いも強くなった。テニスを通じて、何か手助けができるのなら嬉しい」(錦織)

 2011年の秋は、1992年に松岡が記録したATPランキング46位を抜き、日本男子最高の24位になった錦織にとって、実り多きものとなった。

 10月には、テニスの4大メジャーであるグランドスラムに次ぐグレードであるマスターズ1000の上海大会で初のベスト4に進出。さらに、11月に入って、バーゼル大会準決勝では、今季グランドスラム3冠のノバク・ジョコビッチをフルセットで破り、日本男子として初めてランキング1位を破る大金星を挙げた。わずか1カ月の間に、トップ10プレイヤーを3回も破る快挙もあった。

「10月から一気に結果が出だして、ここまでランキングが上がって正直びっくりしているし、不思議な感じもある。まだまだツアーの中で、自分の位置を把握できていない部分もある。でも、今回トップ10の選手3人に勝って、本当に大きな自信を手に入れた」

 上海大会1回戦で0−6、1―4から挽回したのが、ターニングポイントになったと振り返る。

「いちばん変わったのは、我慢できるようになったこと。以前は、オフェンスが7割だったが、無理をしなくても勝てるということを覚え始めた。(上海大会1回戦では)ボールが全然入らず、今年一番悪い試合だなと思いながらプレイしていたが、0−6、1―4になって、自分からミスをしないで、ボールをコートに入れることだけを考え、相手に打たせてリスクを負わせたら、相手がミスをし始めた。そこから自分がリスクを負わなくても、うまく対処できれば、勝てるんだとわかった」

 ジュニア時代から錦織のプレイを知る松岡は、自分を追い越していった後輩の活躍に目を細めた。

「(日本男子最高位になったことは)本来なら2年ぐらい前に達成されるべきことだったが、ケガを乗り越えてカムバックしたことを評価したい。今、圭が目指してきた舞台に立ち、さらに彼の才能が躍動するはずです。トップアスリートが持つような強い精神力を、圭が手に入れることを期待したい。グランドスラムでベスト8やベスト4に入っても、僕は驚かない。これからが本当の勝負です」

 オフシーズンに錦織は、シカゴで2、3週間トレーニングを積み、フィジカルの強化に重点を置く。

「テニスなしで体だけを鍛え、頑丈な体をつくって、来年のシーズンに備えたい」

 2012年1月に開幕するグランドスラム第1戦・オーストラリアンオープンでは、25位で今シーズンを終えた錦織に初めてシードがつく。シードが付けば、3回戦まで、ランキング上位のシード選手との対戦がなく、大会第2週に勝ち残りベスト8以上へ進出できる可能性が広がる。

「次は20位以内を目標にしたい。これからが本当に楽しみですね」

 こう語る錦織は、ジュニア時代にもプロ転向時にも、ローランギャロス優勝と世界1位になることを、大きな目標として抱き続けてきた。

 世界の頂点を目指す大いなる挑戦が、22歳で迎える来シーズンから本格的に始まろうとしている。

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