例えば「番組出演」をちらつかせ、多くの愛人を囲い込んできた。たとえ動機が不純でも、そこには「使用者責任」が存在したはずだ。とはいえ、人を利用することばかりに熱心だった紳助親分。最後はみずから起こした不祥事で、当の本人が責任を取らされようとは因果応報である。


 お笑い界を牛耳る紳助親分こと島田紳助(55)にとって、松本人志(48)は絆の深い「直参」だったはずだ。少なくとも、世間の多くはそう見ていたであろう。しかし、松本が紳助に抱く感情には、「盃返し」も辞さない不穏な空気が漂っていたというのである。



 8月23日に行われた運命の会見で、紳助親分は松本の名前を出してこう語りだした。

「前もって(引退について)言ったのは、ダウンタウンの松本だけです。ダウンタウンの漫才を見て『紳竜』は終わりだなと思った。芸能界終わる時も、まずアイツには伝えとかなアカンと思いまして、ヤツだけには伝えました。松本は『兄さん、やっぱり(吉本を)辞めんといてください』と言ってくれました」

 10月7日、今度は松本が会見の席にいた。

 それはNHKで初のレギュラー番組となる「松本人志のコントMHK」の制作発表会見だったのだが、なんと松本は、紳助親分への決別宣言とも取られかねない発言をしたというのだ。「この会見で松本は、吉本芸人の誰もがスルーする紳助問題についてみずから口を開いたんです。『ちょっとだけ、(紳助が会見で語った)やり取りはしました』と引退直前の接触は認めたものの、引退後の連絡に関しては『いや僕は、今はまだ全然‥‥』と話した。わざわざ紳助と没交渉である現状を暴露したことで、報道陣も色めきたちました」(芸能記者)

 松本がこんな発言をした背景について、とあるお笑い関係者が明かす。

「松本は紳助が会見で語った引退を引き止めたかのような発言に関して、『俺、そんなこと言ってへんねんけど。この期に及んで、(自分の名前を)利用すんのは、ええかげんにしてほしい!』と、激怒していたと聞きます」

 松本が「ええかげんにしてほしい」と話したのだとしたら、それも当然だ。

 紳助が松本の名前を利用して自分を大きく見せるのは、今に始まったことではなかったからである。

「06年4月にかつての相方、松本竜介(享年49)が亡くなり、その1年後にフジテレビで追悼特番が放送されました。その中で紳助は『松本(人志)も来てくれて号泣していた』とエピソードを紹介した。ところが、その直後のラジオ番組で松本は『あのオッサンええかげんにせなあかんですよ』と紳助の発言を否定したんです。ギャグ交じりですが、『そんなんで、俺を利用してくれるな』という本音の罵倒だと思いましたね」(前出・芸能記者)

 先にも触れたが、紳助はことあるごとに、自分が漫才をやめたのはダウンタウンの漫才を見たからだとしていた。

 その真意について、お笑い評論家のラリー遠田氏が解説する。

「紳助からすれば、『俺はいち早く松本の才能に気がついていたんやぞ』という意味です。90年代以降は松本の才能と人気を利用し、『俺は尊敬されてんやぞ』というのを現場スタッフや若い世代のファンに見せつけることで、みずからの地位を上げてきたという歴史があるのです」