教科書に書いていない歴史の裏側

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 学校の授業で一度は習う日本史ですが、その魅力は教科書に載っていない裏の部分に隠されているといっても過言ではありません。歴史上の有名人の意外な素顔やエピソードや、大事件の語られていない真相などを知ると、何だか得をした気分になるものです。
 『学校では習わない 愛と夜の日本史スキャンダル』(堀江宏樹/著、実業之日本社/刊)には、そんな歴史の隠されたエピソードを数多く紹介しています。

■藤原道長「妹の乳揉み事件」の真相
 平安中期に栄華を誇った藤原道長ですが、この時代に書かれた『大鏡』に彼の風変りな行動が書き記されています。
 道長の異母妹・藤原綏子(ふじわらのすいし)の夫は時の皇太子・居貞親王。しかし居貞親王は彼女があまりに無表情なので考えが掴めず、苦手に思っていました。結局ウマの合わない二人は別居に至り、皇太子には新たな女性ができたのですが、彼が綏子と最後に会った8ヶ月後、綏子が妊娠したという噂が立ちます。
 なんとなく綏子が怖い皇太子は道長を呼び付け、その噂の真偽を確かめてほしいと依頼しました。
 道長は妹の屋敷に乗り込み、彼女の胸元をはだけさせると、激しく揉みしだきました。すると彼女の乳房から白い液体が道長の顔に飛びました。それを証拠として、彼は皇太子に「確かに妊娠しています」と報告しました。しかも父親は皇太子でなく源頼定だったそうです。
 道長のすさまじい行動力が垣間見えるエピソードですね。

■坂本龍馬当たり屋事件と黒い金
 坂本龍馬といえば幕末の英雄で、歴史上の人物の中でも最も人気のある人物の一人でしょう。しかし、動乱の時代の最中、悪どいこともかなりやっていたようです。
 その一例が「いろは丸事件」です。これは1867年4月23日、龍馬率いる海援隊(当時は土佐藩に付属する外郭組織)が紀州藩の軍艦にいろは丸をぶつけ、現在の価値で180億円もの大金をせしめたという“当たり屋”事件です。
 日本初の海運訴訟に発展したこの事件、一か月後には紀州藩が土佐藩に7万両を支払うことで決着がついたのですが、実はいろは丸は大洲藩(現在の愛媛県)から借り受けたもの。つまり借りた船を沈没させてしまったということで、土佐藩は大洲藩には船価の9割を年賦で、という約束で賠償金を払うことになってしまったのですが、第一回の支払いが実行された記録は土佐藩にも大洲藩にもないのです。
 こうして180億円は結果として海援隊関係者がせしめてしまったのですが、この大金も幕末の動乱に紛れ行方不明になり、龍馬の死後に岩崎弥太郎の三菱商会設立の資金になったともいわれています。

 今回紹介したものは本書で紹介されているウラ話のほんの一部にすぎません。自分の歴史観に裏付けを与えたり、幅を広げたりするためにも、学校で教わることだけでなく、表には出ないエピソードにも目を向けてみてはいかがでしょうか。
(新刊JP編集部/山田洋介)


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