『千日の瑠璃』29日目——私は畑だ。(丸山健二小説連載)

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私は畑だ。

背後に縹渺たる連山を従えたうつせみ山の北東、つまりうたかた湖へ向って扇状に広がる蕎麦の畑だ。今、近くの禅寺で自虐的な日々を重ねる僧侶たちが、私の上で黙々と働いている。これまでかれらは実に涙ぐましい努力を積んで、よく私の世話をしてくれた。しかし、私にはわかっている。私を相手に汗をだらだら流しているときでも、かれらの念頭にあるのはかれら自身なのだ。いつもいつも自分のことで手いっぱいの能無しどもは、何年鍬を握っても、土の何たるかを知らず、蕎麦などむしろ手を掛けないほうが上質になるということすら知らない。

そんなことでは到底悟れない、と私はしばしばかれらに忠告する。だが、ひとりとして聞く耳を持たないのだ。そこできょう私は、やむなく少年世一の手を借りた。世一の出現ときたらまったく落石のように突然で、気づいたときにはもう避けようがない。きょうの世一は、高い方から低い方へとジグザグに突っ走り、収穫寸前の蕎麦を好きなだけ踏みしだき、棒切れをびゅんびゅん振り回して薙倒し、僧侶たちの分別臭くていやにつるつるした顔に泥を浴びせ、陽光を跳ね返すほどの暗い奇声を発し、何をしたところで無駄だという意味の笑いを撒き散らし、修行に関した秀逸な洒落を飛ばし、とても病人とは思えぬほど凄じい勢いで駆け降りて行く。そんな世一をとめられる者などいるわけがない。
(10・29・土)

丸山健二×ガジェット通信