今井バス停

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城東地区のバスターミナルのひとつ、亀戸駅北口のバス乗り場を見ていると、1番乗り場に「今井」の行き先表示があります。今井と聞いても、地元住民でない限りどこだかピンと来ないかもしれませんが、今回はこの都営バス[亀26]系統の終点、「今井」バス停をご紹介します。京葉道路の小松川橋で荒川を越えた[亀26]系統は、行徳街道(今井街道)に入り、都営新宿線一之江駅前で大半の乗客を降ろしてしまうと、最後のひと踏ん張りで新中川を渡り、間もなく終点の今井に到着します。一之江駅から南東に500メートル程で、すぐ先には旧江戸川を越える今井橋が架かり、対岸は千葉県市川市という場所です。バス路線としては一之江駅が終点でも全く問題ないように見えますが、わざわざ今井まで足を伸ばしている理由は、なんなのでしょうか。

実は[亀26]系統という路線は、昭和43年に廃止された上野公園〜今井間のトロリーバスの代替として設定され、当初は同区間を結ぶ[上26]系統として運行していました。但し、上野からではあまりに長距離であり、定時運行が難しかったせいか、平成2年に亀戸駅を境に路線が分断され、今井側に[亀26]系統が誕生しました。もともと江戸川区の一之江周辺は、長らく鉄道空白地帯として、バスが貴重な生活の足であり、今井はトロリーバス時代から江戸川区東部のバスターミナルとして機能していましたが、昭和61年に都営新宿線が開業すると、周辺の交通事情は一変し、今井は必然的にターミナルとしての役割を一之江駅に譲ることとなりました。しかし、[亀26]系統だけはその後も今井を終点とし続け、トロリー時代の名残を頑なに守り通したまま、現在に至っています。トロリーバスの前身は、都電26系統(旧城東電軌一之江線)であり、「26」という数字にも、都電時代からの伝統が感じられます。
02_トロリーバス終点跡地
さて、その今井ですが、[亀26]系統には、他の路線のバス停からは少し離れた場所に、専用の折り返し場が設けられています。これがトロリーバス時代の車庫の跡地で、かつては都営バスの営業所が置かれた時期もありましたが、現在は都営住宅が建ち、その一階部分が操車場として使われています。トロリーバス時代には、車庫前の路上で架線が大きなループを描き、バスがUターンしていたようですが、現在はそうした痕跡も皆無です。

バスを降り、今井橋の方へ歩いてみます。この付近は旧江戸川河口に近い低湿地帯で、今井の地名は行徳街道の要衝として室町時代の文献にも見えるといいますが、区の町名としては、半世紀以上も前の昭和13年に消滅しています。それでも現在まで今井のバス停名が残り、周辺に今井の地名が定着しているのは、都電・トロリーバス・そして路線バスのターミナルとして位置づけられてきた歴史が大きな要因かと思われます。
03_旧江戸川(今井の渡し跡地)
今井橋の高架下を歩き、旧江戸川の護岸に出てみます。橋は明治45年の創架といわれ、昭和40年代まで現役を続けた旧今井橋は、現在の橋よりも少し上流側にあったようで、川底に残された橋脚の跡が、干潮時には水面に顔を出すとのこと。近くには「今井の渡し跡」の説明板もありますが、渡船は今井橋架橋以前のもので、江戸期には防衛上の理由から一般旅客の利用は許されず、農耕に必要な場合も代官への届け出が必要だったようです。行徳街道の道筋であり、明治期には成田山参詣客などで賑わったと思われます。
04_商店街のイラストタイル
今井から一之江駅へと戻り、行徳街道(今井街道)の商店街を歩いてみます。都電時代は、街道南側の裏手に専用軌道が並行し、トロリーバス時代は街道上に架線が張られていました。それぞれ往時の痕跡は残っていませんが、商店街の歩道には電車やトロリーバスのイラストをあしらったタイルが多数使われ、「マッチ箱電車」と呼ばれて親しまれた都電時代の思い出などが後世に伝えられています。また、商店街途中の一之江境川親水公園入口には、電車とトロリーバスのブロンズ模型が飾られている他、園内にはレールを乗せたガーター橋の一部がモニュメントとして置かれるなど、路面交通と共に歩んできた街の歴史が大切にされている様子を、随所に見ることができます。廃線好きの方なら、全区間が専用軌道だった都電26系統の軌跡を探索してみるのも面白いでしょう。
05_電車とトロリーバスのモニュメント



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