元インテル監督のジャン・ピエロ・ガスペリーニ氏が、木曜から日曜までバルセロナを訪れ、ペップ・グアルディオラ監督率いるチームの練習や試合を見学した。グアルディオラ監督の招きに応じてのものだ。

仲介したのは、マヌエル・エスティアルテ氏。1985年から89年まで、同氏とガスペリーニ氏はともにペスカーラにいた。ガスペリーニ氏はサッカーの、エスティアルテ氏は水球チームのキャプテンだったのだ。2人の友情は20年が過ぎても変わらず、ガスペリーニ氏がインテルで解任された際、エスティアルテ氏は慰めるために連絡を取った。そのときに隣にいたのが、グアルディオラ監督だ。

グアルディオラ監督はガスペリーニ氏と話すことを求めた。個人的な知り合いではなかったが、グアルディオラ監督は難しい時期にあったガスペリーニ氏に、愛情と連帯を示したかったのだ。そして最後に、バルセロナに来るように招待した。

現在、バルセロナの練習を見学するのは、誰にでもできることではない。多くのリクエストが届いたことで、グアルディオラ監督は練習場の門を閉ざすことに決めたのだ。実質的に、今では誰も入ることができない。だが、グアルディオラ監督はガスペリーニ氏を例外とした。そして同氏は、木曜と金曜に練習を見学。終了後はグアルディオラ監督のオフィスで2時間ほど話している。

ガスペリーニ氏は土曜、バルセロナがラシン・サンタンデールに3−0と快勝した一戦を見学し、日曜にスペインを後にした。スペイン『ムンド・デポルティボ』は、「マッシモ・モラッティ会長率いるインテルが、グアルディオラ監督が“移籍”するように最も重圧をかけているクラブであることは興味深い」と報じている。モラッティ会長はグアルディオラ監督の招へいを夢見ているが、そのグアルディオラ監督はモラッティ会長に解任されたガスペリーニ氏を招待したというわけだ。

ガスペリーニ氏はインテルとの別れについて、次のように振り返っている。

「私とモラッティ会長の考えが違っていたなら、どうして私を選んだんだ? マーケットは思っていたようにはいかなかった。(サミュエル・)エトーがいなくなるとは思わなかった。彼と(ジャンパオロ・)パッツィーニ、(ジェノアFWロドリゴ・)パラシオで攻撃陣を形成するつもりだった。(バルセロナFWアレクシス・)サンチェスや(マンチェスター・シティFWカルロス・)テベス、(ナポリFWエセキエル・)ラベッシの獲得は求めなかったよ」

さらに、同氏は『コントロカンポ』の中で、このようにも話している。

「エトーが移籍したのは、私とうまくいっていなかったから? いろいろ下らないことを言われたけど、それは最も下らないことの一つだね。深刻だったのは、問題が3バックにあり、選手たちのポジションを戻せば問題が解決すると思いこませようとしていたことだ。これは私に対して敬意を欠いている。リーグ戦が開幕する前から、クラブと会長は私から“公認”を取り去った。プロジェクト、プロジェクトと言われるけど、実際にはまったくプロジェクトなんてなかったんだよ」