スポーツ政策シンポジウム
(10月10日 駿河台・明大リバティタワー)

◇「彼氏はいますか?」
 「なでしこJapan」についての意外な反応を知った。体育の日に行われた“日本のスポーツの「これまで」と「これから」”と題するシンポジウムである。ぼくが参加している「スポーツ政策研究会」と、かつて会員だったことのある「メディア総合研究所」の共催だった。日本のスポーツ政策を考えるのが趣旨でサッカーがテーマだったわけではない。
 「なでしこ」が女子ワールドカップで優勝したあと、選手たちは、にわかにマスコミの人気者になり、テレビに次つぎに出演した。
 そのなかでワイドショーの司会者が「彼氏はいますか?」という質問をした。スポーツ選手のプライバシーに踏み込むのは「よくない」と、後期高齢者のぼくは保守的な拒絶反応が起こすのだが、立場によっては別の反応もある。
 「サッカー選手が“女性”として扱われている」という見方である。

◇ジェンダー論の視点から
 女子選手だから女性として認められるのは当たり前である。女性のスポーツが独立の立場を認知されるのはいいのではないかとも思う。
 しかし「彼氏はいますか?」という質問に、女性のスポーツ選手に対する特別の好奇心を読みとることもできる。男子選手に「彼女はいますか?」という質問をするだろうか、と考えた。
 これはパネリストの一人、中京大教授の来田享子(らいた・きょうこ)さんのお話の中に出ていたことである。女子スポーツの歴史を振り返りながら、社会的文化的な性別をテーマにジェンダー論の立場からの議論だったように思う。
 来田さんのお話を十分には理解していないままに、そのなかから「なでしこJapan」の部分だけを取り上げると誤解を招く恐れがある。ここでは「なでしこJapan」について、いろいろな議論があるということの一つの例として紹介するだけにする。

◇ナショナリズム論の視点から
 もう一人、別のパネリストのお話の中にも「なでしこ」が出てきた。高名なスポーツ・ジャーナリスト、谷口源太郎さんのお話である。
 「日本が勝った。バンザイ! バンザイ!」とはしゃぐ現象の裏側に「日本は他の国より特別に優れている国だ」というような偏狭なナショナリズムへの動きを見ることもできる。その例の一つとして「なでしこJapan」が引き合いに出された。
 ぼくは「なでしこJapan」現象が、いまのところは政治的に危険だとは思わない。母校や郷土のチームを応援するのと同じレベルだと見ている。
 しかし、スポーツへ国家が援助するのと引き換えに、政治権力がスポーツに介入する危険は感じている。新たに成立した「スポーツ基本法」のなかにもその傾向が読みとれる。
 これも難しい問題だから、ここでは一つの考え方として紹介するだけに留めよう。