2011年10月07日配信の「しみマガ」より抜粋

 近年、欧州へ渡る日本人選手が急増しています。

 日本人選手が話題になれば、それを伝える日本メディアの仕事も増えるわけで、多くのライターが渡欧しました。特に多いのがドイツ。これを機にドイツへ移住する人もいれば、1週間〜1カ月程度の長期滞在で取材する人もいます。今のドイツはお金になる。僕が住んでいた05〜06年頃は、日本人選手といえば高原直泰くらいだったので、ずいぶん時代が変わったなと感じます。

 また、ドイツでの仕事が増えたのはライターだけでなく、選手の通訳、代理人、マネージメント、さらには応援ツアー等のイベントに絡む代理店もあり、サッカーファンもたくさん観戦に訪れています。選手の移籍をきっかけに、みんなが世界のスタンダードを肌で感じながらステップアップしていく。このような交流は、日本サッカー全体が今まで以上に発展するために不可欠な要素であると僕は考えています。

 しかしそんな中、日本サッカーのカギを握る存在でありながら、この流れに大きく乗り遅れている職業もあるのではないでしょうか。それは『指導者』です。 

 本来ならばワールドカップで実績を収めた岡田武史氏、クラブワールドカップでガンバ大阪を率いた西野朗氏などは、下部リーグからでもヨーロッパのクラブにチャレンジできる、名の通った指導者だと思います。実際にそのようなオファーや問い合わせがあったとも聞きましたが、個々に事情もあり、そのような日本人トップクラスの指導者がヨーロッパで第一歩を踏み出すケースは現状では生まれていません。

 やはり言語の問題はありますが、それ以上に大きいのは、日本サッカーの監督を取り巻く環境ではないかと思います。本来ならば監督という職業は、チームの結果のみに去就を左右される『プロフェッショナル』な仕事ですが、日本は違います。一度サッカー界の権力の内側に潜り込むことができれば、あとは安泰。サッカー協会や有力代理人の息がかかった監督ならば、たとえチームを降格させて、解任されても、用意された新たなポストに天下りすることができる仕組みなのです。そのような官僚社会から、海外へ出てステップアップしようという野心のある指導者が出てくるはずもありません。

 実際に「なぜこの監督がまたJクラブで指揮を執れるんだ!?」と感じるような人事はたくさんあります。結局、有力代理人とクラブがズブズブにつながっているので、「優秀選手を送り込んでやったんだから、この監督を引き受けてくれ」といったことが常態化している、と聞きます。

 指導者は結果を出すことよりも、権力の内側へ行くことのほうが出世の早道。日本の悪い風習は、公共性の高いところほど色濃く残っています。

 このような構図は、Jリーグ以外の大学リーグや育成年代など、他のカテゴリーではより顕著になります。年功序列がすべてのベースで、未だに精神論以外の引き出しを持たない指導者がごまんと存在します。そして結果が出なくても、彼らの責任が問われることはない。このような環境が、能力ある若い指導者に対してチャンスを与えることがあるでしょうか? 選手経験もなく、33歳の若さでチェルシーの監督に就任したビラス・ボアスは、日本では絶対に生まれないタレントである。非常に残念なことです。

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