『千日の瑠璃』8日目——私は雨だ。(丸山健二小説連載)

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私は雨だ。

ときにはしめやかに、ときには濛々と降り注いで、まほろ町の夜を一段と玄妙なものにする秋の雨だ。私はうたかた湖の面をかき乱し、片手間に丘を奇襲し、生活に疲れていることに気づいていない母親の眼を醒ます。彼女はまず、屋根を激しく叩きながら「生きたって無駄だぞ!」などとわめく私に気づき、ついで、何とも不思議な声に気づいてそっと床を離れる。そして、天国へ通じるかもしれないような、急な階段を登って行く。

二階の奥の小部屋の健をほんの少し開けた彼女は、灯りを点けたままでなければ眠れない末の子、十年前に高齢出産による異常のせいと診断され、爾後誰よりも自由奔放に生きているわが子の寝姿を久しぶりに見る。それから、私が立てる音に合せて地鳴きを発し、尾羽根を扇状に開いたり閉じたりしている小鳥に、うっとりと見とれる。彼女が見苦しく取り乱して私に食って掛かったりしたのは、遠いむかしのことだ。なぜこんな子どもを授けてくれたのか、という彼女の抗議を真剣に聞いてやったのは、私くらいなものだ。

彼女は忍び足で部屋へ入り、睡眠にも救われていない息子に布団を掛けてやり、闖入者に怯えてばたばたと暴れる鳥の眼を見つめ、「この子はあんたに任せたよ」 と囁くように言う。私はすかさずその言葉を包みこみ、半分を丘の地中深く染みこませ、あとの半分をうたかた湖へ向けて一気に押し流してしまう。
(10・8・土)

丸山健二×ガジェット通信