『千日の瑠璃』6日目——私はため息だ。(丸山健二小説連載)

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私はため息だ。

まほろ町立の図書館を、たったひとりでもう十数年間も維持管理している女が、日に何百回となく洩らすため息だ。これまでの私の累計はおそらく、館内に収められている本の頁数と肩を並べられるまでになっているだろう。あるいは、それ以上かもしれなかった。

彼女は私と共に待った。くる日もくる日も待った。待ちつづけることで生きつづけ、とうとう三十歳になってしまった。しかしいくら待っても、彼女の眼鏡に適った、哀歓を分かち合えそうな男は現われなかった。ほとんど読まれない本の山と、顔見知りだらけの田舎町と、虚ろな仮初の日々から連れ出してくれそうな相手は、結局現われなかった。そして年毎に、私の回数が増え、図書館の利用者が減っていった。

そのとき彼女は人の気配を察し、乱れてもいない髪を急いで直した。ところが、足音の顕著な特徴で誰なのかわかってしまうと、舌打ちをして、表情を弛めた。彼女はろくに口もきけない少年世一から苦労して用件を聞き出し、高い棚から取った重い鳥類図鑑をテーブルの上にどんと置いた。それからふたたび読みかけの恋愛小説のなかへ閉じこもろうとした。だが、うまくゆかなかった。図鑑と大格闘する少年の唸り声に絶えず引き戻されたからだ。彼女は十世紀に亘って読み継がれてきた低俗なロマンスの本を荒々しくばたんと閉じ、「よだれで汚しちゃ駄目よ!」と、尖り声で弟を叱り飛ばした。
(10・6・木)

丸山健二×ガジェット通信