7月場所で好成績を収めたことにより、琴奨菊(佐渡ヶ嶽部屋)が大関に昇進した。日本出身の大関誕生は、同部屋出身の琴光喜以来4年ぶりのことだ。まずはめでたい。
 だが、素直に喜んでいていいのだろうか。昨年の野球賭博事件が遠因となり、本年2月には多数の力士が八百長の常習者であることが発覚し、自主的な引退へと追い込まれた。実質は解雇である。そのために3月場所は中止となり、5月場所は観客に無料公開される技量審査場所とされた。連続して本場所の興行が打てなかったわけであり、異常事態である。野球賭博や八百長事件だけではなく、2007年に起きた時津風部屋力士暴行致死事件、2010年の横綱朝青龍引退問題などを筆頭に、挙げればきりがないほどの不祥事がここ数年連続して起きていた。日本相撲協会という団体は内部で構造腐敗を起こしているとしか思えない。その膿が、たった数ヶ月で出し切れたのだろうか。
 武田鮴は否と言う。『大相撲改革論』(廣済堂新書)は、大相撲の八百長問題を報道し続けてきた武田が、日本相撲協会につきつけた最終通告のような1冊だ。最終章では題名通り、武田の考える改革案が提示されている。日本相撲協会の経営規模を縮小するダウンサイズ論、地位維持を図って八百長に走る力士をなくすための横綱降格制度など、見るべき点の多い私案である。詳しくはぜひ実際に本に当たって読んでいただきたい。
 ここではその改革案の前提について書く。武田が大相撲の現状をどう見ているかということだ。

 ご存知のとおり、大相撲の八百長疑惑は昨今に始まったものではない。武田の引用している記事を見ると、1958年1月27日付の朝日新聞に、千代の山対鏡里、横綱同士の一戦を八百長と指摘する記事が載っているのが判る。見巧者の眼には八百長と映る一番は古くからあったのだ。それに対するチェック機能が働き、大相撲というシステム全体を破壊しないような自浄が行われていただけのことである。逆に言えば、近年になって不祥事が頻発しているのは、システムを支えていた「暗黙の了解」が崩壊しつつあることの証左だ。
 武田には独自の「八百長シャンパンタワー理論」がある。パーティーなどでたまに見かけるあれだ。上のグラスに注いだシャンパンが溢れて下のグラスを潤していく。

 ----シャンパンタワーの一番上のグラスが横綱だと考えてください。ごく単純に言えば、例えば横綱が大関から90万円で星を買ったとします。売った大関はその90万円を元手に、番付が下の関取から30万円で星を3つ買うことができます。そういう形で横綱のお金が下に流れていくのです。(中略)つまり、横綱が八百長をして流れるお金が、下の番付にいる力士たちの懐を潤していくのですね。



 ファンの関心は番付上位の力士に集中する。当然だが強くて人気のある横綱・大関がいれば相撲界全体が繁栄していく。マッチメイクの妙によってドラマティックな場面を演出し、人気力士を作り上げた例もある。1991年5月場所の初日に平幕の貴花田(後の貴乃花)が横綱千代の富士を破り、引退への道筋を作ったのがいい例だろう。貴乃花の人気はあの一戦で決定的なものになった。貴乃花自身は八百長を行わないガチンコ力士だったことで知られているが、出世の花道は関係者によって周到に準備されたものだった。こうした作為が前もって勝敗を決めるような背信につながったケースを「いい八百長」として擁護する人もいる。しかし武田はその意見には批判的だ。「いい八百長」だろうと「悪い八百長」だろうと、入場料を払って来てくれる観客への裏切りであることには変わりがないからだ。
 武田は八百長が現在のような末期症状を呈し始めたのは、2004年に日本相撲協会が行った規約改正が原因だと談じている。このとき「一番につき1社1本」だった企業による懸賞金の本数制限が撤廃され、何本でもかけられるようになった。当然横綱の取り組みに懸賞は集中するので、シャンパンタワーの頂上に注がれる原資が増えたのである。同時に公傷制度が廃止され、ガチンコ力士には不利な状況が出来上がった。ガチンコ力士には怪我がつきものだが、公傷が適用されなければもしものときに休場もできなくなる。そのため八百長をして怪我を回避しようとする力士が増えたと見ているのだ。
 力士たちの意識だけではなく、部屋制度にも問題がある。日本相撲協会からは幕下1人あたり年間186万円が部屋に支給される決まりだ。昇進の見込みがない弟子であっても、やめさせなければそれだけの金が部屋に入るのである。本年6月に閉鎖に追い込まれた高島部屋では、モンゴルから来日した大天霄が一時期唯一の所属力士だった。本人の主張するところによれば、彼は次の入門者が初土俵を踏むまでの「つなぎ」として飼い殺しにされていたのだという。大天霄は親方に勝手に引退届けを出されたとして地位確認と給与支払いを求め、民事提訴を行っている。こうして金で飼われるような扱いをされた力士、特に日本文化になじみのない外国人力士から「大相撲の伝統」への敬意が失われていくのは当然の成り行きである。

 武田は若貴時代から担当記者として相撲を見続けてきた。前述の通り貴乃花、そして彼が属していた藤島部屋は八百長を許さないガチンコの総本山として独自の地位を築いてきた。若貴の相撲は本当のガチンコだったのである。しかし、彼らの存在にも功罪があったと武田は言う。若貴兄弟の人気が沸騰した結果、芸能ニュースでも彼らの話題が取り上げられるようになり「大相撲をよく知る記者よりも、芸能関係のスクープネタを拾うタイプの記者が重宝されるようになった」からだ。その結果、次のようなことが起こる。

 ----八百長を敵視する清廉な若貴時代は、皮肉なことに、記者のチェック機能を奪いました。(中略)貴乃花が横綱に昇進すると、番付上位陣に八百長がはびこる理由がなくなります。上位が八百長に手を染めなければ、シャンパンタワーを流れ落ちるお金がありません。(中略)このように重要な一番は全てガチンコとなりますから、目を吊り上げて監視する必要もなくなったのです。空前の若貴ブームのなか、若貴だけでなく他の力士もガチンコで真剣勝負をする。私の知る限り、当時の取組はすこぶる面白く、最も見応えのある取組が土俵の上で行われている一方で、大相撲を知る気骨のある記者たちが駆逐され、健全な批評精神が失われていったのです。



 批評眼の存在しないジャンルは衰退する。まして自浄作用の失われた世界なのだ。拝金主義が横行し、もっとも大事な師弟のつながりさえも自殺的な部屋の運営によって危うくされている。問題の根は深く、表面だけの処置では到底取り去ることはできないだろう。
 大相撲を愛するファンは今こそ武田の声に耳を傾けなければならない。痛みを伴う荒療治こそが今の大相撲に必要なものなのだ。

(杉江松恋)







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