「白足袋もん」の気配を感じて

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鴨川の流れを見ながら四条大橋を渡ると、東山区。雰囲気が一変する。古くて湿っぽい京都が色濃く残っているのだ。江戸時代に入るまで、京都の鴨川から東のエリアは、みんな比叡山延暦寺の境内だった。いわゆる「無縁所」で、国家権力や武士の力も及ばなかった。河原町など鴨川から西は、街の中にお寺があったのだが、鴨川の東はお寺の中に街があったのだ。さて、東山には世界遺産の清水寺をはじめ、知恩院、東福寺、泉涌寺など有名な大寺院が多いが、そうしたお寺に混じって、独特の雰囲気のある「地味寺」が息づいている。お寺の看板は上がっているが、参詣者が来るような気配はなく、ひっそりとしている。大寺院に勤務する僧侶の“住坊”や、“別邸”みたいなお寺だ。
写真のお寺は東山区の南部、東海道に面した瓦役町にある「地蔵院(浄土宗)」。周囲を竹藪、緑に囲まれ、境内はうかがい知れないが、ひっそりとした中に、ただならぬ気配がある。



近くにある「隆彦院(浄土宗)上」「宝生庵 下」もよく似た気配の地味寺だ。




京都には「白足袋もんには逆らうな」という言葉がある。公家さん、お茶人、そして僧侶など白足袋を履くような人々は、表立っては地味に暮らしているが、実は時の権力とつながっていたり、すごい人脈を持っていたりする。千年の都を実効支配してきた人たちなのだ。京都にはこうした“プライベート寺院”がいくつかあるが、いずれも「白足袋もん」の気配がする。



さて、寺の中に街がある東山区だが、明治維新後の廃仏毀釈運動で、多くの寺が破壊された。写真の祇園の八坂神社も、そのときまで八坂寺というお寺だったが、寺の建物が壊されて神社になったのだ。
多くのお寺は後に復興されたが、運悪く復興することができずに「地味寺」として細々と命脈を保ってきたお寺もある。
東山区鷲尾町といえば、高台寺や丸山公園にも近い観光スポットだが、ここに小さなお堂がある。「双林寺(天台宗)」だ。


今は小さなお堂だが、最澄が建てたと言われる。比叡山延暦寺の勢力下にあり、このあたり一帯を境内とする大寺院だった。丸山公園はこのお寺の境内だったのだ。しかし、明治維新の廃仏毀釈運動によって、お寺の境内はほとんどを削られ、辛うじてこのお堂だけが残ったという次第。すでに応仁の乱以降、寺の勢いが弱まっていたために、再興することができなかったのだ。


小さなお堂には「薬師如来、大聖歓喜天」という額が上がっている。昔はこうした仏様を拝みに、善男善女が集ったことだろう。
このくらいの大きさのお堂なら、地方へ行けばいくつもある。けれども、その歴史は、堂々たる大寺院と肩を並べるくらい立派なのだ。
お寺なんて、ずーっと変化しないもの、と思いがちだが、お寺にも栄枯盛衰があるのだ。



写真と文/広尾晃「地味寺」アーカイブ運営






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