「今は無き遺構給水塔を思う(1)」都営百人町アパート給水塔

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 都営百人町アパートと都営戸山アパートそれぞれに同じような形の給水塔が立っていましたが、百人町アパートの方は06年に、戸山アパートの方は05年に解体されました。写真は在りし日の都営百人町三丁目アパートの給水塔です。 給水塔にも新陳代謝はあり、解体されるものも数多くあります。有名なところでは板橋の大谷口給水塔をあげることができるでしょう。大谷口給水塔は「団地に無けりゃ丘に登ろう」で紹介した野方給水塔と同じく、近代水道の父、中島鋭治博士の設計によるものです。野方給水塔と「歴史的背景を踏まえて眺めてみれば」で紹介した駒沢給水塔、そして大谷口給水塔を合せて、東京三大給水塔と呼んでいる資料もありました。が、残念ながら05年ころ解体されてしまいました。解体を報じた新聞記事が手元にあったハズなので、これは次回紹介したいと思います。


 さて、写真は在りし日の都営百人町三丁目アパートの給水塔。蔦をまとった体躯と、浅草の凌雲閣(りょううんかく)を思わせるフォルムが特徴的でした。(※Wikipedia「凌雲閣」へのリンク
 蔦は夏には緑に、秋には紅く給水塔を染め上げていましたが、写真は夏から秋に変わる頃でしょうか。記録には2006年10月解体とありますので、それよりもちょっと前、9月頃に撮った写真だと思いますが、汗だくで写真を撮った記憶があります。(給水塔は台地に建っているので、周辺を散策すると登り降りで夏場は汗だくです)足元には解体のために駆り出されたトラックが停車でしていますね。


 こちらは夏頃の写真、蔦が青々としています。
 

 百人町アパートの給水塔は、昭和24年(1949)建設・高さ54m・毎分1,000リットルを蓄えていました。給水塔として機能していたほか、頭には火の見櫓を備えており、街の見張り番としても重要な役割を担っていたようです。しかしその後、新宿消防署が建ち、その役割を終えました。


ちなみに、第2給水塔と呼ばれた都営戸山アパートの給水塔は、昭和25年(1950)完成、平成17年(05年)に解体されたようです。必ずしもずっとそこにあるわけではない、時に給水塔には、そんな儚さがあったりもするのですね。


おまけ

 一枚目の写真を撮った場所が今、どうなっているのか?ちょっと気になりまして、Googleのストリートビューで確認してみました。

2006年ころ



2011年ころ現在

給水塔が解体さててしまって風景がスコーンと抜けてしまいました。奥に見えるのは財団法人蚕糸科学研究所が入ったビルですね。





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