暴れたい、壊したい人のソーシャルメディア

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2010年末から今年のはじめにかけてチュニジア・エジプトの両国に起こった民主化革命は、マスメディアによって「インターネット革命」「フェイスブック革命」と評されました。革命のツールとして、TwitterやFacebookなどのソーシャルメディアが大いに利用されたからです。

たとえば、チュニジアにおいて革命の発端となったのは、地方都市の一青年の抗議の焼身自殺でした。大学を出たにもかかわらず職を得ることができず、野菜を売って生計を立てていた彼は、警官に営業許可がないことをとがめられ、賄賂を要求されます。賄賂を支払わないことがわかると、警官は彼から商品である野菜や商売道具を取り上げてしまった。青年はこれに抗議して、県庁の前で焼身自殺をこころみました。

青年はほどなくして亡くなりましたが、自殺の一部始終を彼のいとこが携帯電話の動画機能で撮影していました。動画はいとこのFacebookにアップされ、チュニジア中、やがて世界中に事件が広まることになります。

チュニジアには報道管制がひかれており、新聞は大統領の功績をたたえる完全な御用新聞になっていました。地方の一青年の抗議の自殺を新聞がとりあげるはずがありません。Facebookだからこそ、情報を伝播させることができたわけです。Facebookはクローズドな空間であり、アメリカ発のサービスであるために、当局といえども取り締まることができません。たちまちデモが組織され、結果、23年もの長きにわたって政権にあった独裁者、ベン・アリー大統領はきわめて短期間で国外追放においこまれることになりました。民衆デモのための連絡ツールとしても、Facebookは大活躍しました。

チュニジアの革命に影響を受け、続けて革命を成功させることになるエジプトでは、Facebookでの連絡に手を焼いた当局がネット回線を切断するという行動に出ています。こうなれば民衆は連絡手段をなくしてしまいますが、これには国際的な非難が集まり、かえってエジプト旧政権の命を縮める結果になりました。

瞬時に多くの人間に情報を伝えることができ、なおかつクローズドな空間であるために当局はそれを止めることができない。止めるためには回線を切断するしかない――、Facebookをふくめたソーシャルメディアの大きな特徴です。

チュニジア、そしてエジプトに民主化革命が相次いで起きたとき、われわれは新しいツールが新しい世界をつくるさまを目撃しました。中東の民主化が日本にどんな影響を与えるかはさておき、民衆が立ち上がり独裁政権が崩壊するのは賞賛すべきことと思います。ここでのソーシャルメディアは、たしかに正義のツールでした。民衆に力を与えるツール。Power to the People!

ところが、それはどうも単純すぎる見方のようだ。そう世界が知る事件が起こりました。さきに起こったロンドンの暴動事件です。

暴動の発端は、警官が銃器犯罪に関わると見られる黒人男性に発砲し射殺した事件だとされています。これを人種偏見と抗議する集会が暴動に発展した――、というのが通説のようですが、じっさいのところ暴動に抗議の主張はほとんど見られませんでした。つまり、抗議は表だってはおらず、あったのは主張のない略奪と破壊だったわけです。

この際、暴徒の連絡ツールとなったのはBlackberryだといわれています。日本ではあまり一般的ではありませんが、欧米ではたいへん人気のあるスマートフォンです。
ソーシャルメディアを用いれば、多くの人間がリアルタイムで連絡をとりあい一つの場所に集うことが可能になる。中東の民主化革命で起こったことと同じことがロンドンで起こったわけですが、大きなちがいは「敵」が明確ではないことでした。ロンドンの暴徒たちに政治的な意図は少なかった。むしろ、そこにあったのは「暴れたい、壊したい」というきわめてアナーキーな欲望だったのです。

暴動の要因を貧困や失業に求める意見もみられますが、スマートフォンをもっている以上、それをことさらに強調することはできないでしょう。ひょっとしたら中東における民主化運動だって、大多数の人を動かしたのは政治的な意志よりもアナーキーな欲望のほうだったのかもしれない。

イギリスよりも小規模ではありますが、こうした例はアメリカでも見ることができます。

「フラッシュモブ」は当初、ソーシャルメディアで集った集団がキテレツなパフォーマンスを披露してそれをYoutubeにアップするという、あまり罪のないものだったそうです。ところが、これがエスカレートして集団略奪や窃盗に発展しているという(下記リンク参照)。

これはおそらく、組織化されていない集団による犯罪だと思われます。お互いにたいした面識のない者同士が突然に集まって集団略奪を繰り広げる。

ソーシャルメディアにはそういう力がある。これは認めざるを得ないところです。

幸いにも、目下のところ日本ではソーシャルメディアを利用した悪行は報じられていません。アメリカやイギリスに比べて失業率が低いことが要因かもしれないし、警察力の強さもあるかもしれない。ソーシャルメディアが欧米ほどには一般化してない、ということも要因の一つとしてあげられると思います。

でも、たとえば原発問題に関して、東大教授の児玉龍彦氏が国会で激昂するさまをおさめた映像が多くの人の目にとまったのは、Twitter、Facebook、あるいはMixiといったソーシャルメディアによる伝播があったためです。ソーシャルメディアがなかったら、多くの人は彼の訴えを目にすることはなかったでしょう。

ソーシャルメディアがもたらす世界が、果たして望むべき世界なのかどうかはわかりません。でも、新しいツールが新しい世界をつくっていて、われわれはそこに好むと好まざるにかかわらず放り込まれている。それだけは皆が認識しなければなりません。チュニジアで青年が焼身自殺してからわずか数カ月ですが、世界はたしかに変わっているのです。

フラッシュモブ犯罪「SNS」で参加者募って集団略奪(J-CASTテレビウオッチ)

http://www.j-cast.com/tv/2011/08/24105167.html

2011.07.27 国の原発対応に満身の怒り - 児玉龍彦(Youtube)

http://www.youtube.com/watch?v=O9sTLQSZfwo

(草野 真一)