「生物多様性」とは一体どのようなものなのか?―枝廣淳子さんインタビュー(1)

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 「生物多様性」とは何か。その疑問に分かりやすく答えてくれる一冊の本が出版されました。枝廣淳子さんが著した『私たちにたいせつな生物多様性のはなし』(かんき出版/刊)です。
 枝廣さんはアル・ゴア元米国副大統領の『不都合な真実』の翻訳者としてご存知の方も多いかも知れませんが、NGOジャパン・フォー・サステナビリティ(JFS)( http://www.japanfs.org/ja/ )代表を務めるほか、環境問題に関する考え方や知見を環境メールニュース( http://www.es-inc.jp/lib/ )で広く提供するなど、日本を代表する環境活動家の一人として注目されています。そんな枝廣さんが上梓した『私たちにたいせつな生物多様性のはなし』は「生物多様性」とは何か、それをないがしろにしておくとどうなるのかなど、地球と私たちのつながりを知ることができる一冊となっています。目によく見えない「生物多様性」をどう考えればいいのか。
 枝廣さんにロングインタビューを行い、本書に込めた想いを聞いてきました。今回は3回にわたるインタビューの前編をお届けします。


―前編:「生物多様性」とは一体どのようなもの?―

―まず本書を読ませていただきまして、生物多様性についてあまり知らない人でも理解しやすく解説されていたと感じました。そこで、本書を執筆したきっかけ、想いから教えていただけますでしょうか。

「今、私たちが幸せに生きていくための一番の基盤である地球、そして生物同士のつながりが、地球規模で危険な状況になっています。この状況を放置しておくと、様々な生き物がいなくなってしまうだけではなく、私たちの生活そのものが損なわれてしまう恐れがあります。けれども、こんなに大きな問題になっているのに、ほとんど知られていないという現実があります。そうしたギャップをなんとか縮めたいと思ったのが、本書を執筆したきっかけであり、想いです」

―生物多様性に限らず、このような分野は学術書の体裁を取って出版される本も数多くありますが、その中で、この本は可愛らしいイラストを使ったり、やわらかい文体で書かれていたりと、一般の方向けの体裁になっていますね。

「今、解決しないといけない地球の危機が、科学者や研究者がなんとかすれば解決できる問題であれば、学術書の体裁にしていたと思います。でも、私たちが直面している生物多様性の問題は、私たちの毎日の暮らし――つまり何を食べ、何を着るかということにつながるので、一般の皆様に読んで欲しいと思い、このような体裁で作っていただきました」

―生物多様性が失われてきているのはどうしてなのでしょうか?

「一番の根本的な理由は、私たち人間の暮らしと地球とのつながりが見えていないし、理解されていないことです。
例えば私たちが、フカヒレスープを食べます。フカヒレスープ、美味しいですよね。毎日食べられるものではないですけれど、例えば何かお祝い事があったりしたときに食べる人もいると思います。でも、そうやって、日本や中国でたくさんの人がフカヒレを食べるため、1年間でたくさんのサメがいなくなっているんですね。
サメは海の中でも生態系の頂点に位置するため、サメがいなくなったら他の生物もいなくなってしまう可能性があります。私たちが何を食べているのか、ということが地球に対して大きな影響を及ぼすんです」

―確かに日々の生活の中で、地球との「つながり」を意識することはありませんね。

「その“つながり”が見えていないし、見せる努力もあまりしていないのが現実です。
毎日の生活の中の“これを食べよう”“これを着よう”という取捨選択の積み重ねが、生物多様性をぼろぼろにしてしまっています。もちろん、私たちの暮らしと地球の間には、企業や産業活動があり、その企業の活動が生物多様性を傷つけてしまっている部分もありますが、企業はお客さんが買うから商品をつくるわけですから、私たち一般人も意識を変えていかないといけないのです」

―個人的に、人間の暮らしの豊かさと、生物多様性の保護は反比例するのではないか、と思ってしまいます。工業が発達して人の生活はより豊かになりましたが、一方で公害が生まれたりもしました。枝廣さんはその点についてどう思いますか?

「私は人間だけが物質的に豊かな暮らしをして、他の生物が姿を消していく世界が、本当に人間にとって幸せだとは思えないんです。今、コウノトリやトキを野生に戻そうという活動が広がっていて、コウノトリやトキが自力でエサを獲って食べられるように、彼らが生息している周辺の地域では農薬を使わないといったことも行われています。農薬を使わなくても、稲が実っていろいろな虫がいて、トキやコウノトリが虫を食べられて…そういった風景があることが、人間にとっても安全で幸せな世界だと思います」

―都会ではなかなか実感できないところですね。

「イエスでもあり、ノーでもあると思います。東京でも緑のあるところがありますし、そういった変化は意識すれば感じられるのではないでしょうか。私は団地に住んでいたのですが、団地と学校の通学路を往復している間でも、雨が降った日の翌日にカタツムリがいなくなってしまったなあとか気づきましたね」

―気に留めることが大切なのですね。

「生物多様性が失われてきているのは田舎も都会も関係ありませんから、どこにいてもそれを感じることはできるはずなんです。ただ、都会の方が気付きにくいとしたら、それは生きている人のペースが速すぎるからなんですよ。駅まで早歩きをしたり、走ったりしていると、カタツムリがいるかなんて気にしませんよね。時間に追われてしまっている状況では、周囲に緑があろうが森があろうが、そこで起きている変化を感じることはできないはずです。
それと、生物多様性の大切さが分かりにくい理由はもうひとつあって、サン=テグジュペリの『星の王子さま』で書かれているように、本当に大事なものは目に見えないんだよ、ということです。生物多様性は目に見えないつながりのことですから、それを感じるためには立ち止まったり、ペースを落としたりして、目に見えないものに想いを馳せる必要があります。もし、都会の人が自然の変化を感じにくいとしたら心の余裕がなくなっているということでしょうか」

―『星の王子さま』の中で、王子さまが「みんな数字しか見ていない」と言っていましたが、人間は数字で割り切れないものに対して怯えているような気がします。

「そうですね。人間と環境問題の歴史を考えてみると、これまでの環境問題――公害ですとか、地球温暖化の問題――は、あの工場から出ている汚染水や煙を止めればよいとか、CO2をどれくらい減らせばいいとか、数値で計測できるものが多く、減ったということが分かりやすかったんです。だけれど、生物多様性の問題は簡単には計測が出来ない。これが今までの環境問題との大きな違いです」

―目標が立てにくいのですね。

「温暖化やこれまでの環境問題は、たとえば、「CO2」という“仮想敵”を作ることで、国境や言語を越えて協力しあうことができました。ところが生物多様性は仮想敵がありません。そもそもホッキョクグマがいなくなって、何が困るの?と思う人もいるでしょう。
だから、生物多様性の問題は、これまでの問題よりも難易度がひとつ上がっているんです。私たちの知性を発達させないと、解決していくことはできない。おおげさな言い方かも知れませんが、私は、人間の進化を一歩進めるために生物多様性という問題に人間が直面しているんじゃないかなと思っています」

―この「生物多様性」という言葉が広まった契機になったのが、昨年、名古屋で行われた「生物多様性条約第10回締約国会議」(COP10)であったと思います。枝廣さんから見て、日本人の生物多様性への意識というのはCOP10を機に高まったと思いますか?

「どうでしょう。確かに言葉としての『生物多様性』は広まりました。けれど、それは行政が広告代理店を使って言葉を広めようとしたからで、実際に『生物多様性』が何を意味しているのか、自分たちとどう関係があるのか、なぜ大切なのか、そして何をしたらいいのかというところまで含めて広がったとは思えないですね。
ただ、他の国々の方々とお話していて思うのは、日本や東洋諸国は、もともと自然との共生の文化が基盤としてあります。だから、全く新しい考え方を勉強するわけではなく、もともとあった考えをもう一度思い出す、大事にするだけで良いのではないかということなんですね。
日本や中国には、畑で作った豆を収穫するとき、一粒は人間のために、一粒は畑の虫のために、一粒は鳥のために、と三等分して収穫していたという話があります。これこそ生物多様性の本質的な部分で、全て人間が収穫するのではなく、みんなで分け合う。これを生物多様性という言葉を知らない農家の人たちがごく普通にやっているんです。私はそれでいいと思います。生物多様性というとどうしても生物学とか、生態学の切り口で論理的に説明をしなければいけないような雰囲気になってしまいますが、そういった説明がなくても自然に日本は出来ていたところがあります。だから、自然との共生というところでは、ちょっと思い出すだけで、日本は世界をリードする立場に立てると思いますね」

―元来日本人は、四季に沿って労働をしていたのに、西洋の文化が入ってきてからは、四季に関係ない生活を送るようになったという話を聞いたことがあります。

「そうですね。特に東洋の国々は自然の揺らぎに人間が合わせる生活をしていました。一方、西洋の文化は、人間が自然をコントロールするというキリスト教の考え方に基づいていますから、全然考え方が違いますよね。現代の日本人は人間が自然をコントロールするという方向に動いていますが、かつては夏も自然の「涼」を取り入れるために工夫をしていました。力任せではなく、どう自然の揺らぎに自分が合わせるかということに知恵をしぼっていました。そういう意味では考え方が大きく変ってしまいましたね」

中編「地球は21世紀半ばに崩壊する…それって本当?」に続く



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