「平和宣言」と「脱原発」

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「たとえ長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です」

これは、2011年8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で、長崎市長の田上富久さんが読み上げた「長崎平和宣言」のなかの一文である。

太平洋戦争末期の1945年8月に原子爆弾が投下され被爆地となった広島市では8月6日に、長崎市では8月9日に、それぞれ式典がおこなわれ、そこで両市の市長が「平和宣言」を読み上げる。通常、「平和宣言」では核兵器や戦争をめぐる世界情勢などに触れた上で、核廃絶への決意が述べられる。

しかし、福島第1原子力発電所で事故が起きたことを受け、今年の「平和宣言」では両市ともに原爆のみならず原発について触れた異例の内容となっている。そして、冒頭で引用したように、長崎の「平和宣言」には「原子力にかわる再生エネルギーの開発を進めることが必要」という明確な「脱原発」へのメッセージが含まれている。

田上市長は、「被爆者を絶対につくらない、その道の行き着く先は原発ゼロだ」と述べる(朝日新聞、2011年8月11日付)。私たちが福島での原発事故を体験したのは、ほんの五ヶ月前のことである。事故への対応の過程を見ていて誰もが感じたことは、未曾有の事態に直面しあたふたする国家の情けない姿であった。

事故の影響は根深く、いまだに収束のめどは立っていない。被ばくした一帯が再生・復興する日が来るのは数十年先だといわれている。放射能の恐ろしさを現在進行形で目の当たりにしている今、長崎の「平和宣言」で触れられた「脱原発」の一文には、もはや核の平和利用などという悠長なことはいっていられない、という強い意志を感じる。

一方、8月6日の「平和記念式典」で広島市長の松井一美さんが読み上げた「平和宣言」は、原発事故について触れているものの、長崎のように「脱原発」という姿勢を明確に打ちだしてはいない。「脱原発」と「原発維持」のバランスを考慮した、以下のような内容となっている。

「『核と人類は共存できない』との思いから脱原発を主張する人々、あるいは原子力管理の一層の厳格化とともに再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。日本政府は、このような現状を真摯に受け止め、国民の理解と信頼を得られるよう早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきです」

電力供給の問題上、いきなり原発を全廃するのは現実的な話ではない。しかし、政府や電力会社が使ってきた「核の平和利用」という言葉が虚言であることを、原発事故によって私たちは知った。ならば、核の軍事利用による被害を受けた地が、核に平和利用などあり得ないことを示し、国としてのエネルギー政策を「脱原発」の方向で進めていくべきだとい提言するのは当然かつ妥当なことだと筆者は考える。

放射能の恐ろしさをよく知っている長崎と広島。この夏、長崎からは「脱原発」のメッセージが発信され、広島からは「両論併記」的なメッセージが発信された。とりわけ、この期におよんで広島が核の平和利用に関する「バランス」を重視したメッセージを発信した意図が知りたい。読者のみなさんは、この二つの「平和宣言」をどのように読み解くのだろうか。

(谷川 茂)