生きている暗渠。

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川や水路に蓋をしたり、地下に埋められた暗渠。それらは、生活排水が流れ込み、人びとから疎ましがれて蓋をされたり、下水と化してしまったものも多い。一方で、特に用水路などの暗渠の中には、中をしっかりときれいな水が流れていて、途中で顔(水面)を出し、今でも農業などに使われているものもある。今回取り上げるのはそんな水路である。小平市喜平町。小平団地の東側を南北に伸びる道路の歩道に、ひっそりと古びたコンクリート蓋が続いている。300mほど南には玉川上水の水路。そう、この蓋暗渠は玉川上水からの分水路なのだ。

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蓋は風化してあちこち壊れ、歩道を通る人も特に気にする様子もない。一見すると、すでに役割を終えた水路の残骸のようで、到底この中に水が流れているとは思えない。せいぜい淀んだ水溜りとなっているか、もしくは干上がっているか。数百メートル北上すると、蓋は姿を消す。

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ところが。道の反対側に渡ってみると、そこから水路が姿を現している。
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木板で土留めされた水路には、澄んだ水がとうとうと流れている。
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この水路は「鈴木用水」。武蔵野台地上の新田開発のために、今から300年以上昔に、玉川上水から分けられた用水だ。明治時代の初期、玉川上水の通船に伴う取水口の統合により、玉川上水の北側に沿って新堀用水が開削されて以降は、新堀用水から分水されている。

現在玉川上水の本流は小平監視所より下流は再生水、つまり下水の高度処理水が流されているのだが、面白いことに、新堀用水は羽村で取水され小平監視所まで流れてきている多摩川の水を取り入れている。これは、用水を今でも現役の農業用水として使っている地域があるためだという。多摩川上流部で取水された清冽な水が、先のおんぼろの暗渠を通ってここまで流れてきていて、その水は近くの玉川上水よりも綺麗というわけだ。

少し下ると、かわいらしい水門が現れる。ここで、左に「大沼田用水」が分かれていく。

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水門の手前に小さな堰があり、水路は等幅に分けられている。水を同じ量に分けるための工夫である。澄んだ水が結構勢いよく流れている。
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水門を裏側から見るとこんな感じ。大沼田用水の水門の方が立派だ。
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右側の鈴木用水は、土管で道路の下を抜け・・・
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民家の林の中を流れていっている。素掘りの水路がそのまま残っているようだ。水路はこの先鈴木街道まで流れると、街道の両側に二手に分かれ、西武新宿線花小金井駅の南東に至る。
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大沼田用水のほうは、よくあるコンクリートの梁付の水路となって北上し・・・
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しばらくすると、再びコンクリート蓋暗渠の中に消えていく。この先、途中で「野中用水」を分けた後、西武新宿線小平駅の東まで続いている。
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小平市内には、江戸時代の新田開発時に引かれた玉川上水からの分水が街道沿いを中心に数多く残されており、それらは水の得にくい武蔵野台地上で、住民たちの生命線としての役割を果たした。これらの分水路は今でも水が流されているところが結構ある。また、水が流れていなくても、素掘りや簡単な護岸の水路があちこちに残っていて、これらを辿っていくのは川の暗渠を辿るのとはまた違った楽しみがある。




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