いつまでも若く、青くさい、青春時代のような男でした。

2002年ワールドカップで全試合出場を果たし日本代表のベスト16進出に貢献。アトランタ五輪でブラジルを下した「マイアミの奇跡」、シドニー五輪・無念のアメリカ戦に出場、ミスターマリノスとして幾多のタイトルを獲得した松田直樹さんが、4日亡くなりました。謹んでお悔やみ申し上げます。

早すぎるその死。J1でもJ2でもないJFLに所属する現在の立場は、決して栄光に満ちたものではないかもしれません。しかし、松田直樹という男を見ていると、それが衰えや後退には思えませんでした。身体全体にみなぎる若さと青くささ。むしろJFLの舞台からJ2・J1を目指す、成長の途上にいたようにさえ感じられます。あの世代の多くの選手がピッチを去ってなお、前へ上へ進もうとしていた熱気。一時の陰鬱とした表情も消え、逆に初々しささえ感じていた矢先の訃報でした。

日本サッカーが世界へ駆け上がっていくとき、そこにはいつも松田直樹がいました。中田英寿や前園真聖が脚光を浴びたときも、中村俊輔や稲本潤一が黄金世代の名乗りを挙げたときも、そこに確かに松田直樹はいた。ある者は老け込み、ある者は腹に脂肪を貯め、ある者は枯れた諦観を示している2011年も、松田だけがあの頃のままそこに立っていたような気がするのです。

期待感と積み上げた実績の大きさ、それを自分でぶち壊していくような奔放さ。2010年に16年在籍した横浜F・マリノスを去ったとき、J1チームからのオファーはなかったといいます。それが松田直樹への最終的な評価でした。激情家であり扱いにくく、ムラが大きい。高い技術と戦術眼を持ちながら、それを全部無視して思い付きのように見せる攻め上がり。結果的に点を取ってしまうあたりがまた厄介な、チームに加えれば何が起きるかわからない劇薬でした。

ときにその激情は自分をも傷つけました。2006年ワールドカップ・ドイツ大会。予選での選手起用をめぐり、松田はメディアを通じて監督を批判。のちに謝罪文を送るも、ついに許されることはなく代表から放逐されました。本番で3バックの要であった田中誠を欠くことになるとはついぞ思わず。無残に大会を去った日本代表を見ながら「松田がいれば」と感じた人は少なくなかったはずです。

栄光の時、そこにいた松田は光を浴びず。挫折の時、影の濃さに松田の不在を思う。いなくなったときに存在の大きさを感じさせる…そんな巡り合わせの下に生まれていた男なのかもしれません。最後の最後までそうであったことが、口惜しい。

松田直樹さん、安らかに。お疲れ様でした。



◆青春時代、サッカーに魅了された日々、いつもそこに松田はいた。

1993年のワールドユース日本大会、のちに世界の扉をこじ開ける年代は、ひっそりと世界の舞台で戦っていました。中田英寿・宮本恒靖・松田直樹・戸田和幸、それは2002年の栄光へ直結する顔ぶれでした。その中でも、ヒデとマツの存在は別格。23歳以下と制限された五輪では、この二人だけが2大会(アトランタ・シドニー)に出場した経験を持ちます。まさに日本を世界へと押し上げた立役者でした。

1996年、アトランタでブラジルを下したマイアミの奇跡。サッカーを見ながら全身が震えたのは、あれが最初で、今のところ最後です。面白いのは、その試合を思い出しても不思議と松田の存在が感じられないところ。路木龍次のクロスから城彰二が絡んで伊東輝悦が得点した場面や、川口能活がスーパーセーブを見せる場面はハッキリと思い出せるのに。松田のロングフィードでの展開が日本のスタートだったはずなのに。

↓何もかもが若かった…1996年マイアミの奇跡動画


どうでもいいけど、西野さんどうしたんだよ…。

どこで買ったの、そのバブルスーツ…。






横浜マリノスでもあっという間にレギュラーを確保し、ルーキーイヤーに33試合出場。その後16年に渡る活躍で、3度のリーグ制覇も経験。2000年アジアカップ優勝、2002年ワールドカップベスト16、2003年横浜F・マリノスでJリーグ完全制覇、2004年もJリーグを制し連覇達成。黄金世代が実りを迎えた日々、獲得したタイトルの多くに松田は絡んでいました。

↓2003年Jリーグで劇的な優勝を果たしたマリノス!


Jリーグ史に残るドラマティックな幕切れ!

4チームが可能性を持ったまま最終節にのぞみ、ロスタイムで逆転するという展開は漫画でも再現できない!


↓2002年大会前、プールサイドのパーティーで見せたガキ大将・松田の真骨頂!


中田が飛ぶーぞ!中田が飛ぶーぞ!中田が飛ぶーぞー!

5秒で飛ぶぞ!5、4、3、2、1!






この子どもっぽい笑顔。楽しそうな悪戯。中田英寿を無理やりプールに叩き落としてやれる器の大きさ。2006年ドイツ大会で中田がひとりで食事しているとかホテルが別だとか、チームと融合できていない姿を見るたびに、この場面を思い出したもの。誰からも兄貴と慕われる人柄。中田英寿・中村俊輔という、選手としては日本屈指でありながら性格的にはチームリーダーに向かない面々を、もし束ねてひとつにできるとしたら、それは松田だったのかもしれません。

中田をプールに叩き込むように、誰かの背中を押してやれる男。川口能活がイングランドへ旅立つときも、中村俊輔がイタリアへと旅立つときも、松田がその背中を見送りマリノスを支えていた。景気よく送り出してやろうと躍起になっていた。松田がマリノスを離れるとき、あれほど感傷的な場面となったのも、松田を見送る松田がいなかったからかもしれません。

↓2010年、マリノスから戦力外通告された松田の別れの挨拶!


松田:「オレ、マジ、サッカー好きなんすよ」
松田:「マジでもっとサッカーやりたいっす」
松田:「ほんとサッカーって最高だし、まだサッカー知らない人もいると思うけど、俺みたいな存在っていうのもアピールしたいし」

サッカーじゃないとこでアピールするなよ…。

いなくなったことで存在を知らしめるなよ…。


調子いいときにはわずらわしいこともあるけれど、ピンチのときには頼もしい。どんなときも前に出て、よくも悪くも攻撃的。いつまでも枯れない松田のギラギラした姿をもう見れないかと思うと、寂しさが募ります。ひとりのサッカーファンとしても、同じ頃に同じ夢を見た同世代の男としても。

↓GKをやっても超攻撃的!前へ前へと攻める松田直樹という男!


って、攻めすぎだろ!

GKでもじっとしてられないってか!






不器用な熱さと、最高の笑顔をありがとう!マツは本当に面白かったよ!

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