南郭さんの富士見坂

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都内にいくつかある富士見坂という名前の坂道のなかにも、じつはそれ以外にも隠れ富士見坂ともいえる坂が都内にはいくつかあります。
今回はそんな富士見坂のひとつを紹介してみたいと思います。表向き(というか世間一般的にはですけどね)には、南郭坂とよばれている坂道で、場所はJR恵比寿駅から徒歩数十分の場所にあります。
恵比寿駅と渋谷駅の間にあって坂上あたりは広尾というなかなかしぶい立地の坂道です。

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写真1


いきなり坂道ではなく川の風景なのですけど、こちらは “渋谷川”とよばれている川で、ちょうど今回の坂の坂下あたりを流れていました。(写真1)
渋谷川といえば、実は知る人ぞしる川で、ちょうど写真の奥のほうには渋谷駅がひかえていて、地形(または坂道)とも密接に関連していて、実は渋谷駅の真下を流れている面白い川があるんですけど、これ以上内容をつっこんでいくと坂道話から大幅にそれてしまうので、詳しく知りたい方はネットで検索してみてください。
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写真2

そんなわけで話は坂道のほうにうつります。
写真2は橋のすぐそばあたりから、坂上のほうを眺めたものです。
川のあたりが谷になっているはずなので、ここから徐々に丘にむかって上っていくという感じです。
目の前に大通りが見えていますけど、こちらは明治通りです。ただ、いまでこそ地図的にはこの明治通りで区切られた感がありますけど、昔の坂下はこのあたりだったと思われます。
ここから見るだけでも大通りの位置とはそれなりの高低差もみられますしね。
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写真3

次は大通りを渡ってすこし坂を上った場所から坂上のほうをみてみました。(写真3)
適度な勾配に道幅もゆったりしていてなんとなくのどかな雰囲気でしたけど、その割には車の行き来が多かったです。
車も場所柄いろんな車種が走っていて車観察しているだけでも退屈しない坂道かも。(笑)
あとは建物てきに、左側の中国茶と書かれた看板をたてているお店のつくりがなかなかによくて、じっくりみてみると渋いつくりになっているなあという感じですかね。
(坂道散歩では、坂道ばかりでなくこういう両サイドの有名無名の建物を自分なりの価値観で見て楽しんだり、坂道とのバランスを見てみたりするというのもひとつの楽しみ方ですので、よかったらためしてみてください。)
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写真4

すぐそばには簡素なつくりの神社もありました。(写真4)
どういう経緯でここにあるかまではわかりませんでしたけど、鳥居に神社名が書いてあり、「伊藤稲荷神社」というそうです。
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写真5

さらに坂を上り、坂下のほうを見たものです。(写真5)
地図ではそれほどカーブしているようには見えなかったのですが、実際にはけっこうな曲がり具合で、もうここまでくると坂下あたりの明治通りはかろうじてみえるくらいでした。
両サイドには5、6階建てのマンションばかりが立ち並ぶ都心部によくありがちな風景がひろがっていてまさにビルの谷間をぬっていく坂道という感じでした。
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写真6

それからしばらく坂をてくてく上っていくと、ちょっとひらけた場所にやってきます。(写真6)
写真は坂下方面から歩いてきて、ふりかえって坂下のほうを眺めてみたものです。
地図で確認すると、このあたりが坂上あたりになっているようです。
さらに地形図で確認してみると坂下から約14mくらいの高低差があるみたいなのですけど、ゆるやかな勾配の坂道だったので、気がついたら坂上だったという感じでした。
そしてここも富士見坂という別名があるとおり、かつてはここから富士山が見えたのかもしれませんが、いまは目の前にはビルしかみえません。

またすぐそばには、坂の表向きの名である南郭坂の坂名の由来ともなった服部南郭の別邸「白墳野」があったという案内板がありました。
『服部南郭は、江戸中期の儒学者。漢詩人で幼名を勘助、のち元喬といい字を子遷、書斎を芙蕖館(ふきょかん)と称しました。
この場所は、南郭の別邸があったところで邸前にある坂道は、昔から南郭坂あるいは富士見坂と呼ばれてきました。
南郭は、天和三年(一六八三)に京都に生まれ、十六歳の時に和歌と絵画をもって江戸の柳沢吉保に仕え、また、荻生徂徠の門人となって、古文辞学と詩を学びました。三十四歳の時、柳沢家を辞し、ここの別邸で塾を開いて在野の人となり、もっぱら漢詩文に親しみ、後継者の育成に努めました。宝暦九年(一七五九)没。享年七十七歳。
著書に「南郭文集」「大東世語」「南郭先生燈下書」などがあります。』
案内板にはこのように書かれていて、この坂が南郭坂であり富士見坂であることもちらりとですけどふれられていますよね。
服部南郭さんについてはくわしくはふれませんけど、塾を開いたあと南郭さんの人柄を慕って多くのものがこの坂を通って別邸に訪れることとなり、そのためこの坂をいつしか南郭坂とい呼ぶようになったからとのことで、その別邸があった場所は、この写真6の左側のエリアにあったみたいです。

ちなみに古地図でこの富士見坂(南郭坂)の記述がないか調べてみましたけど、やっぱりありませんでした。見た感じでは、古地図にもあって今も存在している氷川宮(今の氷川神社)と東北寺のあいだにある今でいう農道みたいな道がこの坂にあたるのかもしれないですけど、正直なところちょっとわかりませんでした。

あっ、そうそういい忘れてましたけど、トップの写真、これは坂下から坂を上ってきたときに偶然、富士山のある方向とは逆の坂むこうにみえていた東京タワーを撮ったものです。
なのでこの富士見坂、歩いた感じではわりと地味な坂道なんですけど、時代をまたいだ東京タワーと富士山をむすぶレイライン上にある坂道と妄想することもできるわけですがどうでしょうかね。

今回の住所
渋谷区東二丁目と三丁目の間



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