丸山健二の「怒れ、ニッポン!」第2回

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※小説家丸山健二氏よりご寄稿いただきました

■怒れ、ニッポン!
 元通りの生活に戻したからといって、それでめでたしというわけにはゆかない。生き方そのものを変える方向で再スタートを切らなくては、大試練の意味がなかったことになってしまう。お上の言いなりになる事大主義を完全に退治し、独力の判断と決断と洞察力を身につけることが必要不可欠なのだ。

 芯から腐りきっている、あこぎな上にもあこぎな悪というものは、マンガや映画やテレビドラマや娯楽小説のなかに登場する、どこからどう見てもそれとわかるような存在ではない。また、社会の底辺にうごめくアウトローたちとも一線を画している。連中は社会の表側に、しかも堂々たる地位を占めている。

 なぜ為政者たちはまともな人間ではないのか。それは権力の始まりからしてまともではないからだ。威張りくさることができる上に、楽をして驚くほど甘い汁が吸えるというふざけた立場に魅せられて集まってきた、泥棒同然のろくでもない性根の集団に、我々は国をまるごと預けてしまっているのだ。


 泣いてごまかす日本人。泣かれたら許す日本人。このあまりに情けない、あまりに幼稚な国民性をどうにかしないかぎり、日の当たる場所に巣くっている悪党どもは永遠に栄えるであろう。そしてかれらを無意識に支えている大衆もまた永久に虐げられたままの人生を送る羽目に陥ってしまうであろう。


 せめて原発の是非について国民投票を! その町が賛成したからといって、その県が同意したからといって、原発の建設を認めるのはおかしい。いざというときの被害は日本中に、いや、世界中に深刻な影響を与えてしまうのだから。賛成に一票を投じた者も自分の町に建設が決まったときにはどうする?

 暴れたら手がつけられぬほど凶暴で、甚大で致命的な被害を及ぼす野獣なんぞを飼い、これは二重三重の頑丈な檻に閉じ込めてあるからまったく心配ないと言い張ってきた連中が、野に放たれたそいつが大怪獣と化して暴れまわっているのに、次はもっとしっかりした檻にするから大丈夫だとぬけぬけ言う。

 都会人は、おのれの内面を、とりわけ本能に限りなく近い感情を言葉や態度で巧みに隠す術を身につけている。それなしでは世渡りが不可能になるからだ。しかし、人口の少ない田舎においてそんな小細工は必要ない。感情も欲望もむき出しにすることができ、そこにいとも簡単に付け込まれてしまう。

 あんなにこすっからい、地位を利用してあこぎな儲けを企む性根がはっきりと顔に出ている政治家をどうして選んだりするのか。その目は節穴なのか。そうではない。政治家を支えている人々もまた思わぬ余祿を当てにし、ちっぽけな欲が満たされることに期待して「汚れた一票」を平気で投じているのだ。


 真の教養とは、また、真の学識とは何かを問うとき、問題にすべきは権力や権威や名誉や金銭に断じて屈しない強靱な精神を育み、それをきちんと維持しているかどうかだ。そうしている者こそが本物の教養人であり、本物の学識者であり、本物の文化人であって、それ以外は世に害をなす寄生虫なのだ。


 何回でも叫ぶ。「怒れ、ニッポン!」国民に怒って欲しくない輩は、頭を低くしたポーズをとりながら、怒りが持続力を失う時期を読み、それを待っている。諦めのため息を漏らす回数が増えてゆく頃合いを見計らっている。そして相手の顔色を窺いながら、手練手管を駆使して復活を果たすつもりなのだ。

 慣れは、改良や改善の最大の敵だ。欲深く、腹黒く、人を物扱いしてひと儲けをたくらみ、人を踏みつけていい思いをしようと連中は、そのことをよく承知し、悪用する。そして、いつのまにやらかれらの天下が再生されている。憤怒のすべてが正義と関係あるわけではないが、正義の必須条件ではある。

 原発の恐ろしさは、自然災害の煽りを食らって事故を招くことだけではない。テロリストたちにはまさにもってこいの標的となる。よく訓練された数人と消音器付きの短機関銃と高性能爆薬さえあれば、ほとんど無防備に近いわが国の原発などものの数十分で破壊し、甚大な被害を与えることが可能だろう。

 いかに理想的な国家であろうと、結局は抑圧と隷従の関係で成り立っている。そして国民の九割九分か、それ以上の人々が被抑圧者としての生涯を終えてゆくのだ。かなり努力し、精いっぱい生きているつもりなのに、どうもぱっとした人生にならないことを、才能の欠如や不運のせいにしてはならない。

 さほど役に立つとは思えぬ知識のあれこれをぎっしりと頭に詰め込み、一流とされる大学を卒業し、憧れの高級官僚になり、同僚との仁義なき熾烈な闘争に明け暮れ、大企業や政治家の顔色を窺いながら美味い汁を吸い、国民を平気であざむき、天下りを繰り返して余生を充実させる、そんな人生って何だ。


 お国のためにぜひとも専門的な知識と知恵を拝借したいという声が政府から掛けられるたびに、待ってましたとばかりに喜々として集まる、お馴染みの民間人の面々。かれらにいったい何がやれるというのだろうか。その名声とやらにふさわしい活躍をし、見事な答えを出したことが一度でもあるだろうか。

 人間らしい本質的な人間としての未来がこの国民の頭上に輝く可能性はあるのだろうか。そうした理想に一歩でも近づきたければ、各人が他者に頼ることなく自分自身を改革してゆくしかないのだ。つまり、強者にすがりつく生き方を根本から改め、おのれがおのれを助けることを学ばなくてはならない。


 これ以上ひとつになるニッポンをやめようではないか。ひとつにまとまり過ぎた結果が、このざまなのだから。これからは、いい意味で、より積極的にばらばらになるほうがいい。この際、傲岸不遜の誹りを受ける覚悟で、どこまでも主我的な個人として生き、強者にからめ捕られる人生と手を切るべきだ。

(つづく)


丸山健二氏プロフィール
1943 年 12 月 23 日生まれ。小説家。長野県飯山市出身。1966 年「夏の流れ」で第 56 回芥川賞受賞。このときの芥川賞受賞の最年少記録は2004年の綿矢りさ氏受賞まで破られなかった。受賞後長野県へ移住。以降数々の作品が賞の候補作となるが辞退。「孤高の作家」とも呼ばれる。作品執筆の傍ら、350坪の庭の作庭に一人で励む。
Twitter:@maruyamakenji

※原稿は丸山健二氏によるツイートより

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