さらば愛しの換気口

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みちくさ学会開始当初から、11回にわたって語ってきた換気口鑑賞。今回が最終回である。自分で言うのも何ではあるが、換気口鑑賞は「誰も見ていないもの」「建てる人が隠そうとしているもの」をわざわざ鑑賞する、というところに肝がある、いわば究極の出オチである。
そんな出オチのネタを長々続けるのもジャンプの連載漫画のようで風情に欠けるというもので、スパッと今回で終わらせたいとこういうわけである。

michikusa28
最後に語りたいのは、私が換気口鑑賞という趣味を続けている理由である。

趣味というのは、続いてはじめて趣味になる。昨日ヨガを始めた人がヨガが趣味ですとは言わない。いや厚顔な人は言うかもしれないが、まあ普通の人は言わない。

生来の飽き症の私が、こうしてせっせとカメラ片手に自転車を走らせ続けているのは、換気口鑑賞に意義と楽しさを見出しているからだ。

換気口で対象となる建物は、何の変哲もない中層のビルやマンションだ。名のある建築家が建てたものでもなければ、歴史的価値があるほど旧い建物でもない。ましてや天高くそびえるような高層建築でもないし、バブルの遺産でもない。中小企業がちょこまかと入っている雑居ビルや、布団が常に干されているデザインレスなマンションにこそ良質の換気口がある。
これまで「建築鑑賞」というカテゴリの中で誰も見向きもしなかった建物を鑑賞足るものとして自分が見出し世間に紹介出来ていること。これはとても意義がある。

喩えるなら、地元の漁師が捨てていたどんな調理方法でもまずい魚が、1か月ほど灰の中で置き去りにされていたのを偶然私が拾い、食べてみたら熟成されていて素晴らしく美味しかったような話である。ちなみにこの話はピータンの製造方法発見時の実話だ。そんな灰の中で数カ月も経った卵を食べてみようと思う人の勇気はナマコを初めて食べた人なんかの比ではない。最初はイジメだったのではないだろうか。ジャイアンがのび太に「鼻からスパゲティ食え」と言ったみたいな。何の話でしたっけ?

また、私を突き動かすのは使命感だけではない。換気口鑑賞には楽しさがある。
以前昆虫採集に喩えたことがあったが、いつどこで素晴らしい物件に会えるかはわからない意外性。そして今日あった物件が明日には無くなっているかもしれない(逆もしかり)という希少性。写真を撮っていていつ怒られるかわからないゲーム性。いずれをとっても趣味の王道である。

しかも私一人しかやっていないので私一人がルールを決められるのだ。何て自由。何て王様気分。

こうして私は趣味としての換気口鑑賞を今も続けている。
みちくさ学会の連載は今回で終わるが、私が換気口を撮り続ける旅は終わらない。
誰かが私を追い抜くまではきっと。

まあそれ以前に追って来てくれる人を待つのが先なんだけど。

<完>

michikusa29




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