【杉山茂樹コラム】日本の「サッカー偏差値」は上がっていない
ドイツで開催されている女子W杯。ニュージーランドと対戦したなでしこジャパンは2−1で勝利を飾った――。
辛勝と言えば辛勝。日本の実力を考えれば、物足りない結果に見える。1失点は余計な気もするが、一方で、とやかく言う気になれないことも事実。
右からのセンタリングをヘディングでブチ込んだニュージーランドのゴール。この日本の失点シーンを目の当たりにして、多くの人が唖然としたはずだ。呆れ果ててしまったと言うべきか。見たくないモノを見てしまったと言うべきか。
男子サッカーでは解決できても、女子サッカーではいくら努力しても解決不可能。施す術のない、ある意味で絶望的な光景を目の当たりにした気がした。
すべてをぶち壊すゴールとはこのこと。日本は実力を上げてきているだけに、なおさら残念な気がする。女子サッカーはまだ、競技として完成されていない。残念なことに、男子サッカーのサッカーを見る目で、女子サッカーは見られない。
男子サッカーは、そうした意味で完璧な競技と言えるかもしれない。女子サッカーに見える粗が一切ない。完成度抜群の競技。人気の秘密だと僕は思う。
だからつい、一言いいたくなってしまうのだ。もっと面白がらなければ損。少なくとも僕にとって文句は娯楽だ。文句をどれだけ言えるか。それと競技の魅力は比例の関係にある。
いま矛先を向けたくなるのは、五輪を目指す男子チーム。U−22だ。前回、ここで「クウェートにホームで3−1はいただけない」と書いたが、そのいただけない感じは、アウェイでも続いた。通算スコア4−3。関塚ジャパンは辛くもクウェートを振り切り、最終予選進出を決めた。
問題は、そのことを問題視する人が少ないことだ。
40度近い熱さの中で行われたアウェイ戦の環境を考えれば……。
宇佐美や香川が入ってないわけだし……。
チームとしての経験が少ないので……。
大切なのは、それでも勝ったということ。問題はこれから解決していけばいい……。
耳に入ってくるのは、優しい声、弁護する声ばかりだ。弁護ならまだましな方かもしれない。中にはよくやった的な報道も、けっこう目に付いた。もう少し突っ込むべきだと思っている人は、少なくないと思う。前回も書いたけれど、甘口とか辛口とか、そういう問題ではないのだ。言ってやることがサッカーに対する礼儀、チームへの礼儀なのだ。なぜ一言いってやれないのか。一言いいたがる人間を辛口だと言って、怪訝そうに見るのか。
日本対クウェート。この対戦は、巨人対阪神ではない。ソフトバンク対楽天でもない。言ってみれば、日ハム対日本通運だ。名古屋対福岡でも、柏対甲府でもない。鹿島対岐阜。川崎対北九州。いや日本とクウェートとは、J1とJFLの関係に近い。
日本の悪いところは、国対国の戦いを、対等な関係として捉えたがるところ。相手は弱者なのか、強者なのか。日本は強者なのか弱者なのか。立場の違いに敏感になれない気質がある。突き詰めれば、永遠のライバルと言われる日本対韓国だって、様々な要素を勘案すれば、50対50の関係ではないはずだ。
それはともかく、相手との関係をフラットに見ていると、番狂わせを起こすために不可欠な、弱者のメンタリティは育まれにくい。クウェートは、小国のメンタリティをフルに発揮した。日本をリスペクトしていたからこそ、つまり、格上だと尊重していたからこそ、善戦健闘したのだと思う。よほど頑張らないと、ヤバイとの危機意識が、彼らのモチベーションに繋がっていた。
相手国の戦力を日本と比較しながら冷静に分析しようとする姿勢は、むしろ現場の選手や監督より、メディアサイドに不足している気がする。盛り上げようとしたいのか、対等な関係をアピールする癖がある。目の前の敵を手強い相手に見せようとする。ブックメーカーのない悲しさを思う瞬間だ。
必要なのは、どのくらいのスコアが妥当なのか、推測することだ。試合が始まって5分、10分の様子に、とりわけ目を凝らそうと僕が言うのはそのため。まさに立ち上がった瞬間に垣間見える、両者の息づかい、立ち位置、スタンスの違いこそ、結果を占う大きなヒントになる。油断しているのはどちらか。見えてくる瞬間だ。
女子サッカーを見ていると、男子サッカーのありがたみをつくづく感じてしまう。それは、文句が言える喜びなのだけれど、その中身が毎度、似ていることも確か。それはそれで問題なのだ。日本の「サッカー偏差値」は上がっていないという話になる。
これから五輪予選もW杯予選も始まるが、相手に関係なく、勝てば喜び負ければ悲しむ日本メディアの癖を、僕は見たくないのである。
辛勝と言えば辛勝。日本の実力を考えれば、物足りない結果に見える。1失点は余計な気もするが、一方で、とやかく言う気になれないことも事実。
右からのセンタリングをヘディングでブチ込んだニュージーランドのゴール。この日本の失点シーンを目の当たりにして、多くの人が唖然としたはずだ。呆れ果ててしまったと言うべきか。見たくないモノを見てしまったと言うべきか。
すべてをぶち壊すゴールとはこのこと。日本は実力を上げてきているだけに、なおさら残念な気がする。女子サッカーはまだ、競技として完成されていない。残念なことに、男子サッカーのサッカーを見る目で、女子サッカーは見られない。
男子サッカーは、そうした意味で完璧な競技と言えるかもしれない。女子サッカーに見える粗が一切ない。完成度抜群の競技。人気の秘密だと僕は思う。
だからつい、一言いいたくなってしまうのだ。もっと面白がらなければ損。少なくとも僕にとって文句は娯楽だ。文句をどれだけ言えるか。それと競技の魅力は比例の関係にある。
いま矛先を向けたくなるのは、五輪を目指す男子チーム。U−22だ。前回、ここで「クウェートにホームで3−1はいただけない」と書いたが、そのいただけない感じは、アウェイでも続いた。通算スコア4−3。関塚ジャパンは辛くもクウェートを振り切り、最終予選進出を決めた。
問題は、そのことを問題視する人が少ないことだ。
40度近い熱さの中で行われたアウェイ戦の環境を考えれば……。
宇佐美や香川が入ってないわけだし……。
チームとしての経験が少ないので……。
大切なのは、それでも勝ったということ。問題はこれから解決していけばいい……。
耳に入ってくるのは、優しい声、弁護する声ばかりだ。弁護ならまだましな方かもしれない。中にはよくやった的な報道も、けっこう目に付いた。もう少し突っ込むべきだと思っている人は、少なくないと思う。前回も書いたけれど、甘口とか辛口とか、そういう問題ではないのだ。言ってやることがサッカーに対する礼儀、チームへの礼儀なのだ。なぜ一言いってやれないのか。一言いいたがる人間を辛口だと言って、怪訝そうに見るのか。
日本対クウェート。この対戦は、巨人対阪神ではない。ソフトバンク対楽天でもない。言ってみれば、日ハム対日本通運だ。名古屋対福岡でも、柏対甲府でもない。鹿島対岐阜。川崎対北九州。いや日本とクウェートとは、J1とJFLの関係に近い。
日本の悪いところは、国対国の戦いを、対等な関係として捉えたがるところ。相手は弱者なのか、強者なのか。日本は強者なのか弱者なのか。立場の違いに敏感になれない気質がある。突き詰めれば、永遠のライバルと言われる日本対韓国だって、様々な要素を勘案すれば、50対50の関係ではないはずだ。
それはともかく、相手との関係をフラットに見ていると、番狂わせを起こすために不可欠な、弱者のメンタリティは育まれにくい。クウェートは、小国のメンタリティをフルに発揮した。日本をリスペクトしていたからこそ、つまり、格上だと尊重していたからこそ、善戦健闘したのだと思う。よほど頑張らないと、ヤバイとの危機意識が、彼らのモチベーションに繋がっていた。
相手国の戦力を日本と比較しながら冷静に分析しようとする姿勢は、むしろ現場の選手や監督より、メディアサイドに不足している気がする。盛り上げようとしたいのか、対等な関係をアピールする癖がある。目の前の敵を手強い相手に見せようとする。ブックメーカーのない悲しさを思う瞬間だ。
必要なのは、どのくらいのスコアが妥当なのか、推測することだ。試合が始まって5分、10分の様子に、とりわけ目を凝らそうと僕が言うのはそのため。まさに立ち上がった瞬間に垣間見える、両者の息づかい、立ち位置、スタンスの違いこそ、結果を占う大きなヒントになる。油断しているのはどちらか。見えてくる瞬間だ。
女子サッカーを見ていると、男子サッカーのありがたみをつくづく感じてしまう。それは、文句が言える喜びなのだけれど、その中身が毎度、似ていることも確か。それはそれで問題なのだ。日本の「サッカー偏差値」は上がっていないという話になる。
これから五輪予選もW杯予選も始まるが、相手に関係なく、勝てば喜び負ければ悲しむ日本メディアの癖を、僕は見たくないのである。
スポーツライター杉山茂樹氏の本音コラム。