政府開発援助=人道支援ではないよ

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今回はKenさんのブログ『Tokyo Life』からご寄稿いただきました。

■政府開発援助=人道支援ではないよ
「震災後のこの大変なときに、海外に援助なんかしている場合か」というご意見はごもっともなんですけど、さりとてODA(政府開発援助)はゼロにできるものではないのです。軍事力を海外展開しないのが国是の日本にとって、ODAは重要な外交ツールなんですよね。

“援助”と言ってはいるものの、「かわいそうだから助けましょう」という人道目的だけではないんです。鎖国しているならいざ知らず、これだけ世界の国々が分ち難くつながってしまっているご時世、日本が食っていくためには“国際社会の安定”は重要な条件で、日本はそれを所与の条件として享受しているだけではいけない規模の国だし、応分の負担をして“国際社会の安定”にコミットしていくことは日本の責務で、またそこから得る利益も大きいと思うのです。

あるいはまた、ODAは“経済開発・市場の開拓”の側面もあります。企業がリスクを取れないところに先にODAが入ってマーケットの地ならしをする。よく取り上げられる例は、たとえば道路建設を支援すれば、車が売れる。地域の交通ネットワークができて人々が豊かになり購買力が上がる。さらに道路建設の技術が移転できれば、自力で経済開発が進み経済成長がもたらされる。

そうすれば日本企業にとっても市場が広がるし、生産拠点を開くこともできるかもしれない。……と、こんなにトントン拍子に、うまい具合にすべてが進むわけでもないでしょうけど、でもこういう側面があるのも確かです。ODAによるインフラの支援が日本企業の現地進出、現地事業拡大と組み合わせて実施されることもよくあるしね。

ODAの生々しいところでは、日本の“発言力の確保” “対外イメージの向上”、さらに“外国政府の懐柔・支持獲得”という役割もあったりする。表立っては言わないもののやはり援助を受ければ恩義は感じるし、苦しいときに手を差し伸べてくれたとなれば、また別の機会にご恩返しが期待できる。なんかいやらしい感じだし、また恩返しを期待して支援しているわけではないとしても、でも現実としてそうなるわけですよ。

たとえば国際社会秩序の維持・形成に重要な役割をもつ国際機関の理事国に日本が立候補したり、あるいは日本人が委員に立候補したときに、日本支持に回ってくれたりする。東日本大震災に際して世界中から支援やお見舞い、救助隊の派遣があったのもこれまでのODAのがあったればこそ、という面もある。普段から日本はよくやってくれている、信頼できる国だというイメージを培っておくことが必要で、ODAはそのための工作費的な役割を持ってます。

アフリカなどの特にぜい弱、貧困な国では、ODAはさらに露骨に外交、政治の道具にもなることがあります。日本はそこまで露骨にはやらないですけど、欧米諸国は割と明確にODAと引き換えに被援助国側に改革を要求することがあります。

似たような話では、 IMF(国際通貨基金)や世界銀行が資金協力の実施と引き換えに財政引き締めや特定の金融政策の実施を求める例がありますけど、そこまでいかなくても、まあ、端的に言ってしまえば「援助するからコレをやるように」と改革を進めさせるわけです。貧しい国、ぜい弱な国は往々にして統治機構が弱い上に腐敗していたりするので、 ODAと引き換えに改革を進めさせる圧力をかけたりしています。

日本のODAに関しては、対中国でこのところ議論になることが多かったですね。尖閣諸島問題で中国との関係がぎくしゃくしたり、中国がGDPで日本を抜いたりして、対中国ODAも「止めろ」の声が盛り上がりました。たしかに、もはや道路や橋を造ったり、食料を援助したりするODAは止めて当然でしょう。あれだけ自力で発展しているんですからね。でも、ゼロにするのはちょっと待った、と思うんです。単純に中国を非難してdisってれば済むわけではなくて、21世紀の大国である中国とはどうあっても共存共栄を図っていかねばならんわけです。

そのためには、中国国内に知日派、親日派が増えてもらわないといけない。多くの中国人に日本を正しく知ってもらわないと。日本の良いところ、日本の足りないところを知る人が増えてもらわないと。ODAには人材育成の事業もいろいろあって、毎年多くの人が途上国から研修、セミナー、留学のために来日していて、たとえば環境関連や社会開発、地方自治などの研修への中国からの参加は、今後も継続していいと思うのです。むしろ、それなりのポジションにいる、あるいは将来そういうポジションにつくレベルの人物の人的交流を増やさないとマズいだろうと思うし、その活動はODA予算で支えられている部分も割と多いんです。

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東日本大震災で国内の復旧・復興事業に巨額の資金需要が発生していて、ODAはなまじ“援助”と呼ばれていることもあり、こんな緊急時に途上国の困っている人に金をばらまいている場合かというのもごもっともですけど、ODAは日本外交の足腰であって単に「困っている人を助けましょう」というだけのものではないんですよね。日本が国際社会で生き抜くための経費であり、先行投資である面が大きくて、削り過ぎれば国際的信用を失うだけでなく、じりじりと国内の経済にもマイナスの影響をもたらしてしまいます。

本年度のODA予算は約5,700億円。その額については議論もあるだろうと思います。巨額だとも言えるし、国家予算やGDPの規模から比べたら少ないとも言える。すでにピーク時から半分になっているというのをどう見るか、というのもある。しかしとにかく、「震災、津波で大変なんだから止めっちまえ」という乱暴な議論はよくないです。要はバランス。震災対応も必要だけど、国際社会に対する責務、外交活動も無視できない。“0”か“100”かではない冷静な議論が必要だと思うのです。

執筆: この記事はKenさんのブログ『Tokyo Life』からご寄稿いただきました。

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