今回ご紹介するのは、港区の浜松町駅と田町駅のほぼ中間にある都営バスの「東京港口」バス停です。

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今回ご紹介するのは、港区の浜松町駅と田町駅のほぼ中間にある都営バスの「東京港口」バス停です。東京港と聞いても、具体的な位置がピンとこないのは私だけでしょうか。バス停は第一京浜から旧海岸通りが分岐する芝4丁目交差点にありますが、地図で東京港という表記を探してみると、南は大井から芝浦、日の出、竹芝を経て月島、有明方面までの一帯を指すようなので、その広大な東京港の入口がここなのかといわれると、少々違和感があるのは否めません。ただ、客船の発着する日の出桟橋や竹芝桟橋が近いことから、旅客向けにはここが東京港口という位置づけでも、かろうじて頷けるといえるでしょう。

そんな「大風呂敷」なバス停ですが、時代を遡ると、かつてここには品川と上野を結んだ都電1系統の東京港口電停があり、バス停はこれを受け継いだものであることがわかります。今となっては、五反田駅からの路線が1時間に1本程度通過するのみとなり、このバス停が東京港へのアクセスとして機能することは皆無のように思われ、むしろ「芝4丁目」とでも改称した方が分りやすそうですが、都電時代の歴史を忠実に守り通してくれる都交通局の姿勢に、私のような散歩者は拍手を送りたくなります。

国道130号(旧海岸通り)
交差点から東へ向かう旧海岸通りには、国道130号の表示がありますが、これは日の出桟橋までのわずか500メートル足らずの国道で、兵庫県の国道174号に次ぐ、全国で2番目に短い国道として知られています。桟橋への短い道路がわざわざ国道扱いとなっているところに、もしかしたら芝4丁目交差点をわざわざ東京港口と呼ぶ理由が隠されているのかもしれません。

ところで、東京港口と都電との関係で忘れてはならないのは、旧海岸通りに敷かれていた都電芝浦工場への引込線のことです。そこで今回は、この引込線跡を辿って。旧海岸通りを歩いてみました。

芝浦三業地見番跡

JRの高架下をくぐると、すぐに芝浦1丁目交差点で、国道130号としてはそのまま直進ですが、旧海岸通りはここから南へ向かいます。この付近は明治末年頃完成の埋立地で、海岸線の風光明媚な地として知られ、大正期から昭和初期にかけて芝浦花街を形成した三業地でもありました。現在も旧海岸通りから少し裏手に入ると、かつて芝浦三業地の見番として使われた、入母屋造りの巨大な木造建築が現存しています。

船路橋

やがて旧海岸通りは、芝浦2丁目交差点に出ます。引込線は、その先の運河を越え、現在は芝浦アイランドとして再開発された都電芝浦工場の敷地へと通じていましたが、その運河を越える部分には、船路橋という都電の専用橋が架かっていました。この橋は、昭和40年代に引込線が廃止された後も、レールの残る遺構として永らくこの場所に放置され、都電廃線跡歩きの定番スポットとなっていましたが、再開発に合わせて橋の撤去、架け替えが行われたのが平成19年、すなわちつい数年前というから、驚きです。

船路橋

 レトロなレンガ調の外観で架け替えられた新しい船路橋には、都電のレール跡をイメージした2本のラインが描かれ、都電時代の記憶を後世に伝えています。橋の北詰にある公園内には、橋の由来を記した説明板が置かれ、レールの一部が保存されている他、南詰側にも芝浦アイランドの案内図に船路橋の由来が記されるなど、都電ゆかりの街としての歴史が積極的に「見える化」されていますが、最も注目すべきは、南詰の足元に埋め込まれた煉瓦でしょう。よく見ると、昭和18年の都制移行前までの東京市電気局の紋章が、「路電」の文字と共に刻まれています。これらを見ていると、船路橋架け替え事業に携わったスタッフの中に、相当な都電ファンがいたのではないかと思ってしまいますが、真相はいかに。




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