丸山健二の「怒れ、ニッポン!」

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※小説家丸山健二氏よりご寄稿いただきました(イラスト:バンビ団)

■怒れ、ニッポン!

 正義の怒りにつながらない悲しみは、ただの泣き寝入りでしかない。泣き寝入りは、一個の独立した人間の取るべき態度では断じてなく、この世に存在することの尊厳をみずから放棄した、羊のようにおとなしいだけの腰抜けの愚者の選択肢だ。  怒れ、ニッポン!

 金と出世のために学者としての魂を平気で売り飛ばした、似非学者、御用学者、腐れ学者のオンパレードがテレビを連日賑わしている。この際、かれらの顔と、かれらしか用いないテレビの体質を胸に焼き付けておくがいい。そして、同種同根のコメンテーターや文化人や芸能人、その他の知名人たちも。

 どこのどいつがこの国を牛耳っているのか、この国を食い物にしているのかということが、今回の原発事故によって鮮明になった。これを契機に、国家が不特定多数のものであるという錯覚を捨てなければならない。国家はあくまで特定少数のものであり、その他はかれらの奴隷にすぎないのだ。

 ひとつの大企業のボスがあこぎに稼ぎまくった贅沢に過ぎる資金をばら蒔くことで、政治家も役人も学者も報道陣も文化人も芸能人もがっちりと抑え込み、自分の言いなりに操れる木偶人形として利用し、国家の私物化を押し進めている。手の指で数えられるそいつらこそが元凶中の元凶なのだ。

 あの電力会社の会長や社長やその他の幹部たちの神妙な態度と顔つきの裏側に張りついている冷酷さと傲慢さは、さまざまな名目を悪用してさまざまな人々に金をつかませて国家をわが物にしたという自負と自信が支えになっているからだ。だから、口先だけの謝辞にとどめ、土下座にしても田舎芝居なのだ。

 飴と笞に弱いのは人の常だが、ここぞというところでそれを突っぱねられない者は知識人でも教養人でも文化人でもない。いや、人間でもなく、動物に堕してしまった人間もどきにすぎない。人には二種類ある。飴にも笞にも絶対に屈しない、真っ当な人間と、それ以外だ。

 日本人には、世界的に見て希有なほど豊かな情緒が具わっている。しかし、その精神はお粗末なかぎりだ。精神とは、要するに自分だけの判断で決定する力を身につけていることだ。個としての、または孤としての力の有無こそが精神の基盤であり、それ抜きの感情だけではとても人間とは言えない。

 政治家どもの顔をとっくりと見るがいい。よくよく目を凝らして見るがいい。あれが国家を仕切れるほどの顔か。欲深いだけの間抜け面。幼稚なパフォーマンスが精いっぱいの、企業から金をくすね、税金をちょろまかし、あるいは、その地位に甘んじているばかりの無能力者の集団。選んだのは誰だ。

 国民のためを心底から思って動いている政治家がただのひとりでもいると思うのか。かれらが高い理想と志のもとにあの地位をめざしたと思うのか。かれらを支持した選挙民がお人好しの間抜けだと思うのか。ちっぽけな欲に後押しされて一票を投じた結果が、強欲に蝕まれた輩に大きな権限を与えたのだ。

 それらしく見えればいい、それらしく振る舞えばいいという価値観が、それらしいだけの軽薄な輩をそれそのものに仕立て上げてしまっている。この国のありとあらゆる分野において、そのおかしな論理が罷り通り、ために、実力のない奴がその地位についている。国の底力がつかない所以がそこにある。

(つづく)


丸山健二氏プロフィール
1943 年 12 月 23 日生まれ。小説家。長野県飯山市出身。1966 年「夏の流れ」で第 56 回芥川賞受賞。このときの芥川賞受賞の最年少記録は2004年の綿矢りさ氏受賞まで破られなかった。受賞後長野県へ移住。以降数々の作品が賞の候補作となるが辞退。「孤高の作家」とも呼ばれる。作品執筆の傍ら、350坪の庭の作庭に一人で励む。
Twitter:@maruyamakenji

※原稿は丸山健二氏による4月27日から5月7日までのツイートより

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