〈探偵ガリレオ〉シリーズの最新長編が刊行された。『真夏の方程式』である。シリーズ作品としては6冊目、長編では3冊目となる。「週刊文春」連載時から、単行本化を楽しみにしていた読者も多いことだろう。〈探偵ガリレオ〉こと湯川学の活躍を、また本で読むことができる。
 今回の舞台は風光明媚な海辺の町、玻璃ヶ浦である。帝都大学の物理学研究室を離れて湯川がこの地にやってきたのは、玻璃ヶ浦の沖合いの海底にレアメタルを含む鉱脈が見つかり、資源開発の計画が発足したためだ。海は水産業の舞台であり、観光都市としての資源でもある。当然住民からは自然破壊を危惧する声も上がり、計画が環境に与える影響を評価することが求められた。そのための調査において湯川の提案した手法が採用されることになり、現地まで足を伸ばすことになったのである。
 今回の特筆すべき点は、湯川と、ある少年との交流が描かれていることである。小学校5年生の柄崎恭平は、夏休みの一期間を親戚が経営する旅館で過ごすために玻璃ヶ浦へやってきた。往路の電車の中で、偶然彼は湯川と知り合ったのである。招聘元の企業に借りを作りたくないといって、湯川は恭平の泊まる旅館を滞在先に決める。
 湯川と子供、という取り合わせに意外さを覚える人もいるだろう。わざわざ時間を割いて子供の相手をしている湯川というのも、想像がしにくいかもしれない。しかし、一旦かかわりを持ったあとは、湯川は驚くほど真摯に、恭平に接しようとするのである。探偵ガリレオの、意外な一面を見た思いがする。
 恭平に対して発された、湯川の言葉を聞いていただきたい。

「お金に繋がらないってところが。僕だったらやる気が出ないな。大体、理科って苦手なんだよね。あれって何か役に立つのかな。ねえ、科学の研究って楽しい?」

「この上なくね。君は科学の楽しさを知らないだけだ。この世は謎に満ちあふれている。ほんの些細な謎であっても、それを自分の力で解明できた時の歓びは、ほかの何物にもかえがたい」



 恭平は、さまざまな理由が重なりあって、世の中に対してしらけた気持ちを持っている子供だ。湯川は、彼に世界の真の姿を見せるため、科学者としての知識と能力を用いるのである。ペットボトルと携帯電話を使って行った実験が、恭平のかたくなな心を溶かす。一つの出会い、一つの発見が、誰かの人生を変える。この世には、そうした魔法のような出来事が、ごくまれに起きうるのだ。そうした場面を、作者は湯川学という偏屈な物理学者の存在に託して描いた。
〈探偵ガリレオ〉の名を世間に広く知らしめた第1長編『容疑者xの献身』(文春文庫)では、物語の背景に格差社会の現状が描かれていた。本書でも同様に、この社会のありようが物語に大きく影響している。海底資源開発をめぐり、玻璃ヶ浦の町は推進と反対の二派に分裂する。その中では、理性的な話し合いができない雰囲気が高まっていくのだ。極論と極論がぶつかりあう窮屈さは、わが国の現状をカリカチュアとして描いたもののようである。本書の雑誌連載時にはまだ東日本大震災は起きておらず、原子力発電所の危険性も一般には意識されていなかった。だが、3月11日以降に勃発した「安全」と「科学神話」を巡る論争が、私には本書で行われている議論に重なって見えた。
 ミステリーとしての側面を紹介するのが遅くなった。湯川が町に到着した日、住民を対象にした説明会が開催された。そこにはなぜか、玻璃ヶ浦とは縁もゆかりもない人物が紛れ込んでいたのだ。湯川と同じ旅館に投宿したその人物は、翌日変死体として発見される。警察当局は事故死という見解を発表するが、塚原という死者の素性が意外なものであったことから事態が一変する。彼は警視庁に属し、警視の階級にまで昇った元警察官だったのである。その人物がなぜ、玻璃ヶ浦にやってきて命を落とすことになったのか。警視庁内部の塚原をよく知る者から、捜査一課の刑事、草薙と内海に極秘裏の捜査指令が出た。草薙は現地にいる湯川に連絡をとり、真相究明の依頼を行う。
 一見結びつきそうにない出来事の間に存在する、見えない糸。それを探っていくところに、『真夏の方程式』の謎解き小説としての醍醐味がある。それに、過去の2長編と同様の、大胆なトリックによって不可思議な状況が作り出されるという、虚構の世界ならではの楽しみが加わるのだ。小説としての美しさは、そうしたミステリーの仕掛けが、玻璃ヶ浦で起きている事態と深いところで密接に結びつけられている点にある。恭平という年少の登場人物を配したこと、町が環境破壊という問題によって大きく揺らいでいること、そうした要素が、すべて真相に結びついていくのだ。ミステリーとして優れているのと同時に、小説として豊かである。楽しませてもらいました。

(杉江松恋)







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