「がんばろう」をやめるべき3点の理由

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今回はParsleyさんのブログ『Parsleyの「添え物は添え物らしく」』からご寄稿いただきました。

「がんばろう」をやめるべき3点の理由
3月11日の東日本大震災から二か月が過ぎた。その間、キャッチフレーズとしてどこからも聞こえてきたのが、「がんばろう、日本」という言葉。
民間レベルでの支援プロジェクトでも名前に「がんばろう」と入れているところが目についたし、民主党・自民党とも「がんばろう、日本(NIPPON)」とポスターなどに大々的に入れている。
ネットメディアでも、例えばLivedoor BLOGOSが、復興特集に「具体的にがんばろう、日本。」というコピーにしている。
だが、Parsleyが見るに、「がんばろう」という言葉を安易に使うことによる弊害の方が多くなってきているような気がする。
というか、もう「がんばろう」は禁句にすべきだとはっきりと思うので、理由を3点ほど挙げてみたい。

●被災地・被災者はもう既に充分以上がんばっている。

東北地方や関東北部など、被災地は復旧に向けてこの二か月間いろいろな方が尽力なさって、インフラは回復しつつある。長い期間の避難所暮らしに耐えていらっしゃる方も大勢存在している。
特に東北は地域性もあって、あまりいろいろなことを要求せずに、黙って苦難に耐えるという方が多いという。ボランティアをしたある方によれば、ほんとうに必要な物資を聞き出すことも大変だという話も聞いた。それだけ慎み深いともいえるし、他地域の人間になかなか本音を明かしてくれない、ともいえるだろう。
ともあれ、そういう方々に対して更に頑張りを強いるような言葉を、外部の人間が吐くべきだとは、私には思えない。
原発の被害で苦しむ福島県にしても、放射線の被害がどこまでのものなのか、情報が二転三転して精神的に疲弊しているように感じる。もうこれ以上、県民や自治体の努力や尽力でどうなるものでもない状態。これほど「がんばろう」という言葉が空しいこともないのではないだろうか。

●若い人に「がんばる」という言葉はネガティブな印象がある。

今回、「がんばる」という言葉には励ます意味で使われているのは分かる。けれど、私Parsleyのような人間からしてみれば、「がんばれ」と言われるたびに「一体、何を、頑張れというのだろう?」と反発に近いことを感じることの方が多かった。
「がんばろう」には、無意識のうちに“もっと”という前置詞が隠されている。「力が足りていない」という意味も内在されている。そういった言葉を安易に使えば使うほど、発言した人と当事者との距離は遠くなっていく。そういった精神論的なものを求める時期は過ぎている。
また、手足を動かして何とかするフェイズはもう終わって、これからは頭を使って効率的に復興へ進むフェイズに突入しなければならない。“がんばらなければいけない”から、“がんばらないでも済む”スキームへの転換を図らなければならないのだ。
春休みからゴールデンウィークにかけて時間を取れたボランティアスタッフはそれぞれの日常に戻り、現地でニーズの高いという長期間滞在出来る人材は減っている。特に現地ボランティアセンターでの情報ボランティアで人材が減って、各地の避難所のニーズを吸い上げるのにマンパワーが足りていない、という話も聞く。
仮に一か月間奉仕活動をしたいと希望しても、会社がそれを認めず、その間の収入もゼロというのでは、参加するためのコストが高すぎて個人の頑張りで済む話ではない。
ならば、国なり自治体なり企業なりで、こういった長期ボランティアを奨励・支援する制度が必要になってくるはず。ボランティアをするのに、“がんばらないで済む”ための法令なり企業内の制度を作るべきだろう。

●政治・行政の怠慢につながっている。

この二か月間で明らかになったことは、政府・行政のガバナンスが欠如している、ということ。
例えば、計画停電にしても、節電にしても、まずはそうならないように対策を練るべきで、一般国民に“耐える”ことを求めるような政策をするならば、それなりの働きをしてもらわないとね、と個人的には思うのだけれど。福島第一原発への対応が右往左往している様子や、一向に明らかにならない義捐金の配分とか、被災地に負担が長くなりかねないようなことばかりのように感じる。
がれきの処理などは、政府の指針では8月末をめどとしているが、福島第一原発事故で汚染された可能性のあるがれきに関しての会合は15日に開催されたばかり。果たして間に合うのか。支援を表明している自治体との連携はどうするのか、不透明なままだ。
まぁ、要するに、「がんばろう」と音頭を取っている政治家の皆様こそ、死ぬ気で頑張って頂かないと、復興どころじゃないんじゃないか、とParsleyとしては思うわけですよ。
で、私のような一般市民としては、「がんばろう」という言葉に隠れて、電気料金を値上げしたり、“復興税”なるものを持ち出している動きに関しては、まさに政治・行政が“楽をしよう”としていることなので、厳しい目でチェックし続けなければいけないだろう。

以上の三点から、「がんばろう」というのは直ちに止める必要がある、と考える次第。
そして、被災地はもちろん、日本全体が“ラクしても大丈夫”なスキーム作りをすることに、政治家や官僚の皆様におかれましては知恵を絞って頂きたい、と切に願うわけです。
まぁ、今の政府にはかなり高いハードルだということは分かっているけれどね……。

執筆: この記事はParsleyさんのブログ『Parsleyの「添え物は添え物らしく」』からご寄稿いただきました。

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