フリーの記者は、ヒバクしてもいいのか

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事故から2カ月半が経過したいまも、テレビやラジオ、新聞、そして雑誌では、福島第一原発に関する報道が続いている。同原発の事故は、とりわけ東日本一帯に未曾有の被害をもたらし、いまももたらし続けているのだから、当然のことである。

ただし、その報道内容がウソなのかホントウなのかは、報道を見聞きした側の私たちが判断しなければならない。政府と原子力安全委員会、原子力安全保安院、東京電力の4者の発表してきたことがどれだけいい加減なものであったのか。そのことは、昨今の「海水注入」問題を見ただけでもよくわかる。

こうなってくると、報道を見聞きする側にもそれなりの構えが必要になってくる。例えば、自分なりに信用できるキャスターや記者、ライター、専門家などを見つけ、その人やその人が紹介する人物の発言を基準点にした上で、日々の報道をながめてみるのもひとつの対策であろう。

しかしながら、その信用できる人物が有名であればあるほど、事故の現場に行っていなかったりするからやっかいである(少なからず、行っている人もいるが)。現場に近づけば近づくほど、放射線にヒバクする可能性が高まる。大手マスコミ各社としては自社の仕事で有名人にヒバクしてもらっては困るからだ。

有名人だけでなく、大手マスコミの社員も事故現場には近寄らない。ではいったい誰が原発事故の現場に接近した上で取材しているのか。それは、フリーの記者たちである。ルポライターの明石昇二郎さんが「週刊朝日」の緊急増刊「朝日ジャーナル 原発と人間」で、その内情を語っている。

「原発の半径20キロ圏内の取材は、事実上、フリーランスの記者に依存しているというのが実態だ。それも、報道機関からの正式な『発注』ではなく、フリーランス記者の『自己責任』で現場取材を敢行した−−との体裁で」(同誌、95ページ)

さきほど、自分なりに信用できる人物を基準点に、と書いた。だが、その人物らの多くが、また彼らが出演・執筆している番組や企画が依存しているのは、大手マスコミのディレクターや記者、編集者ではなく、「自己責任」でヒバクのリスクを覚悟し、現場を取材しているフリーの記者からもたらされた情報であることが多いということだ。

こうした構図は、海外の戦地や紛争地における現場取材にも全く同じことがいえる。しかし、戦争が起きている地域と異なり、放射線は見えないし、ヒバクしてもすぐには身体に影響がでない。ガイガーカウンターを所持していても、そうした放射線の特徴から、取材する側に「たぶん、大丈夫だろう」という油断が生じがちになる。

そして、「お金」(出演料や原稿料など)や「名声」(マスコミへの露出が多くなる)に「油断」が加わることにより、フリーの記者はできるだけ原発の近くで取材をするようになる。「自己責任」で取材し、ヒバクしてきたフリーの記者の情報や素材を大手マスコミが買いとり、自社の媒体で利用する。

なかには、お金や名声など必要なく、一途に「ヒバクしてでも現場の情報を!」という使命感を抱いて取材するフリーの記者もいると思う。そういう記者に対して、「現場にいくな」とは誰もいえない。だからといって、そういう記者もお金や名声を求める記者も、俯瞰してみれば「大手マスコミに利用されている」という構図には変わりがない。

日々の原発報道を見聞きする私たちは、原発付近、それも大手マスコミの社員が「ヒバクするから」といって近寄らないような現場から発信される情報がおもにフリー記者の活動によって得られているということを是非理解しておきたい。そして、現場で取材するフリー記者たちの、そのヒバクが「あとのまつり」にならぬように、と筆者はただ祈るのみである。

(谷川 茂)

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