松木謙治郎|クラシックSTATS鑑賞 阪神-3

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初代主将にして4番打者。大人の風格のある名選手だった。

福井県敦賀市出身。敦賀商業時代に甲子園出場。27年明治大学に進学。名古屋鉄道局、大連実業団を経て36年大阪タイガース創設に参加。一塁手として活躍。42年退団。43年応召。50年監督兼任で復帰。51年現役引退。54年まで阪神監督。56-57年大映監督。69-70年東映監督。解説者。78年野球殿堂入り。86年死去。
【タイトル、それに準ずる記録】
●首位打者1 ●本塁打王1 ●最多安打1○最多得点1 ○最多三塁打1

・打撃10傑入り3・OPS.900以上1 ・RC100以上0 規定打席以上7シーズン
【論評】
ロイドメガネでバットを振り下ろす写真が残っているが、いかにもスラッガーらしい力強さと重厚さがある。戦前では中島治康とともに、姿の美しい選手だったように思う。
プロ入りの時点ですでに27歳。チーム最年長であり、俊足、強打を兼ね備えた中軸打者としてチームをリードした。28歳で監督兼任、責任感の強い性格で藤村富美男、景浦将ら癖の強い選手たちの信望を集めた。37年は二冠を獲得しOPSは.955。戦前では極めて高い数字。
戦争の影響で9年間もプロ野球のグランドに立たなかった。復帰した時には41歳になっていた。この9年間のブランクがなければ、素晴らしい成績を残していたと思われる。
その半生を見ると「プロ野球選手として恥ずかしいことはできない」という強い矜持があったことが分かる。プライドの高い、一流の人物だったのだ。監督としては632勝606敗25引分。
NHKの解説や、民放のゲスト解説を務めていたが、野太い声で明確にプレーを分析していたのが心に残る。一言でいえば「懐かしい人」である。