「自分の本当の使命とは一体、何か?」を求めてスピリチュアルの道へ―はづき虹映さんインタビュー(1)

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 スピリチュアルの世界についての本は数多く出版されていますが、どうして人はスピリチュアルに魅かれるのでしょうか。
 『誕生日占い』などの著者で知られるはづき虹映さんは、『幸せなスピリーマン』(はづき虹映/原作、鈴木ぐり/画、かんき出版/刊)で、その経緯をコミック化しています。どうして普通のサラリーマンだったはづきさんは、スピリチュアルに目覚めたのか? そもそもスピリチュアルとはどのようなものなのか? 3回に分けて、はづきさんの言葉をお届けします。今回は前編です。


■前編:“フツーのサラリーマン”はどうしてスピリチュアルに目覚めたのか?

―今回ははづきさんはじめてのコミックエッセイということですが、コミック化の出版に至ったいきさつを教えていただけますでしょうか。

「今回の『幸せなスピリーマン』は、はづき虹映として33冊目の本になります。お陰様でこの『幸せなスピリーマン』で、著作の累計が100万部の大台を超えたこともあって、私にとっても、記念すべき一冊になったと喜んでいます。
これまでの私の本は「スピリチュアル」や「占い」をテーマにしたものがほとんどで、どちらかと言うと「女性向け」で「深い」内容のものが多かったのです。
しかし、私は根っからの関西人で、講演会などのトークは、「おもしろい!」「漫談みたい…」と言われることも多く、「明るく、軽く」が特徴でした。今回の本は、「そのトークの明るく、軽いノリを表現してみませんか?」という編集者さんの提案がキッカケで生まれた企画です。「関西ノリのおもしろトーク」を最もストレートに表現できる形は何か?を追い求めていくウチに行き着いたのが、スピリチュアルをテーマにした「ギャグコミック・エッセイ」という全く新しい形になったのです」

―『幸せなスピリーマン』というタイトルですが、これはズバリ、はづきさんを指しているということでしょうか。

「ズバリ!そうです(笑)。もともとは「スピリチュアル・ビジネスマン」を省略した形で、「スピリーマン」と名付けたのですが、「ビジネスマン」より「サラリーマン」の方が、より親しみやすさが出る…ということで、サブタイトルは、「フツーのサラリーマンがスピリチュアルに目覚めたら」を採用しました」

―はづきさんが、サラリーマンだったということですか?

「はい。私自身、実際に大学を卒業してから丸6年は、大手百貨店に勤務していたサラリーマンでした。ただ、サラリーマンを辞めてからは、ずっと自分で会社経営に携わっているので、「サラリーマン」時代より、「ビジネスマン」時代の方が、ずっと長くなっているのが本当のところではありますが…(笑)」

―ギャグ満載の内容で、私も爆笑しながら原稿を拝見したのですが、スピリチュアルな裏話も盛りだくさんで、笑いながらも新たな発見や学びを得ることが多かったです。はづきさんがスピリチュアルな世界と出会ったきっかけを教えてください。

「私がスピリチュアルな世界と出会う、直接的なキッカケになったのは、本書の「第1話」にもある通り、1995年の阪神淡路大震災です。
当時は広告・販促関係の企画会社を経営していて、お陰様で業績は順調でした。しかし会社の規模が拡大するに連れ、精神的なプレッシャーを強く感じるようになって来て、自分の会社なのに出社すると胃が痛み、出社拒否症のような状態に陥っていました。そんな時、あの大地震が起きたのです。
昨日と同じ今日が続くことも、電気、ガス、水道がフツーに使えることも、お金を出せば、なんでも手に入ることも…。すべて当たり前、当然と思っていたことが、そうではなかったのだと思い知らされました。さらに目の前で生き埋めになっている人を助けられない無力感も味わうことで、自分が何のために生きているのか?を見失ってしまったのです。
そこからです。あの地震を経験したことで、「自分の本当にすべきこととは?自分の本当の使命とは一体、何か?」ということに対する「答え」がどうしても知りたくて、スピリチュアルな世界に自然に足を踏み入れることになりました」

―数多くのワークやセラピーをお受けになったということですが、その理由は何だったのでしょうか。

「たくさんの本を読み、さまざまな師の元を尋ね歩き、数多くのワークやセッション、セミナーに参加したのも、納得のいく「答え」がどうしても欲しかったからです。「本当に大事なことは何なのか?」を知りたくて、結局、高級自動車一台分以上のお金と十数年という時間を費やして来ましたね」

(中編に続く)



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