あえてツイッターの短所について考えてみよう

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ブログが登場したときにも、『mixi』などのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が登場したときにも、それらをほめちぎり、その可能性を過大に評価している人たちがたくさんいた。人は、新しいものが好きであり、新しいものは注目されるのだから、ある意味で当然の流れだとは思う。これを仮に初発期としよう。

しかし、新しもの好きの私たちは、時間の経過とともに古くなっていくその“新しかったもの”に飽きてくる。また、使い勝手や機能をマスターすればするほど、その限界が見えてくる。そして、みずからの性格や生活、仕事、交流関係などを元に、自分に適したツールを見きわめ、使うようになっていく。これを安定期とする。

『ツイッター』については、「情報革命」とか「世界を変える」などとほめちぎられた初発期が過ぎさり、安定期にさしかかっていると筆者は考えていた。140文字という短い文章で情報を発する。その文章が時間とともに流れ去っていく。これらの特徴からは、気楽に参加しやすいという長所とともに、簡単に答えが出せないような問題を語るのは困難だという短所もかいま見られる。

●“放射能いじめ”の記事に対するツイート群を分類してみた
今回は、その“短文”という短所について、ある新聞記事の反応を事例に検証してみよう。4月13日の毎日新聞で、福島第1原子力発電所事故の影響で、福島県から千葉県に避難してきた子どもが、避難先の子どもに「放射能怖い」と偏見をもたれるケースがある、と報じられた。この記事に対するツイッターユーザーの関心は高く、同月15日の時点でツイートは2500件を超えていた。

まずツイートの分類だが、もっとも多いのは「記事タイトル+リンク」の機械的なツイート。つづいて、短文をそえたものには、以下の4通りが目立った。第1に「これはひどい」というもの、第2に「おとなが悪い」というもの、第3に「子どもは容赦ない」(=仕方がない)というもの、第4に(千葉県民を馬鹿にした上で)「県民性」をあげるもの。

いずれも、ほとんどが「短文+記事タイトル+リンク」というかたちでのツイートである。このように短文の“感想”を書き、ニュースなどのリンクを張るというのは、『ツイッター』の“正しい”使い方なのかもしれない。しかし、そうした「短文+リンク」の羅列を見ているうちに、筆者は違和感をいだくようになった。

例えば、「ひどい」と書く。記事のタイトルを添え、リンクを張る。ツイート。すると、なんとなくその記事で起きていることにかかわったような錯覚が生じるのではないか。「ひどい出来事を、他人に知らせた」と。だが、その人は、実際にはニュースを読んで「ひどい」という“感想”を抱いただけであり、そこから先に何があるわけでもない。

●他人のことを気遣っているようで、じつは気遣っていない
『ツイッター』は、つぶやくためのコミュニケーション・サービスであることは承知している。以上で分類し、検討した「短文+リンク」のつぶやきは、そういう意味ではサービスの本義にかなった使い方なのであろう。とはいえ、もう一度いうが、上記の記事に対する「短文+リンク」のツイート群には、違和感を抱かざるをえない。

すくなくともツイートの対象となっている記事には、他者(いじめられた子どもと親、福島県民、千葉県民)がおり、その背景にはさまざまな問題(原発、避難、いじめ)が入りくんで存在する。こうしたデリケートな事柄に対して、「短文+リンク」の素っ気ないリアクションをすることに、どんな意味があるのだろう。

表現がむずかしいが、こういうことかもしれない。つまり、そこに困っている人がいるとする。その人に対して、相手のことを深く考えることなく、それほど思いやることもなく、とりあえず、なんとなく、「がんばれ」といってみる(みんなもそういっているから)。そういわれた側の人が、どう思おうがおかまいなし。

この「がんばれ」を「ひどい」や「おとなが悪い」に入れかえたのが、上記の記事に寄せられた多くのツイートであるように感じるのである。他人のことを気遣っているようで、じつはそれほど気遣っていない感覚とでもいおうか。

●ツイートの先には、人がいることを忘れずに!
以上の事例からいえるのは、短文で気軽に書けるという『ツイッター』の長所が、そのまま短所になってしまっているということである。むずかしい問題を簡潔に語るためには、高度な文章技術が必要になり、その技術を一般に求めることなどできない。つまり、短文で気楽に発信するというアクションには、ある種の限界があるのではないか。

個人的なつぶやきなのだから、それでもいいだろう、という考える読者がいるかもしれない。しかし、どんなに短文であれ、発した言葉の先に人がいる場合、その人が不快になったり、不安にならないような最低限の配慮はすべきだと筆者は思うが、いかがなものだろう。

140文字という字数は、そうした配慮を含めた文章を書くのには、いささか短すぎる。上記の事例でいえば、いじめられた子やその親が、福島県民が、千葉県民が、「ひどい+記事タイトル+リンク」とか「おとなが悪い+記事タイトル+リンク」「県民性+記事タイトル+リンク」というツイートの羅列を読んだら、どんな気持ちになるのであろうか。

安定期に入ったとはいえ、『ツイッター』の速報性や拡張性は、目を見張るものがある。短文でつぶやく形式だからこそ、継続して使おうと思える、いわば利便性も注目に値する。しかし、そのすばらしき『ツイッター』にも、以上で述べたとおり「むずかしい問題を簡潔に語ることの困難」や「他者への配慮」など、利用の際に留意したほうがよいと思われる部分もある。

読者のみなさんには、長所と短所をしっかりと理解した上で、上手に『ツイッター』と付きあっていただければと思う。ちなみに、『ツイッター』で世界が変わったり、情報革命が起きるなどと、筆者はあまり思っていない。

(谷川 茂)



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