キャサリン妃が選んだサラバートン「アレキサンダー マックイーン」とは

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 英国ロイヤルウエディングでキャサリン妃が身を包んだドレスが話題になり、女性デザイナーSarah Burton(サラ・バートン)が手がける英国ブランド「Alexander McQueen(アレキサンダー マックイーン)」があらためて評価を高めている。2010年2月に創業デザイナーが悲劇的な死を遂げた同ブランドの軌跡をたどってみよう。

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 リー・アレキサンダー・マックイーン(Lee Alexander McQUEEN、1969〜2010年)氏は1969年、ロンドンの庶民的な街で、タクシー運転手の家に生まれた。6人兄弟の末っ子だった。

 幼い頃からファッションデザイナーを志していたが、ファッションスクールには歩まず、16歳で紳士服の仕立て職人としてキャリアをスタート。ロンドンの上流階級向けオーダーメード紳士服の街、サビル・ロウへ。

 老舗「Anderson and Shephard(アンダーソン・アンド・シェパード)」で腕を磨き、さらに同じサビル・ロウにある、英国王室御用達の超高級紳士服店「Gieves and Hawkes(ギーブス・アンド・ホークス)」で修業を重ねた。この街で培ったビスポーク(注文仕立て)のテイラーリング技術は後にマックイーン氏の作品世界を支える基礎となった。

 舞台コスチュームの「Angels and Bermans(エンジェルス・アンド・バーマンス)」で演劇衣装作りのテクニックも習得した後、20歳でサビル・ロウを離れ、日本ブランド「Koji Tatsuno(コウジ・タツノ、デザイナーは立野浩二)」やイタリアブランド「Romeo Gigli(ロメオ ジリ)」で働いた。ロンドンへ戻った後、英国の名門ファッションスクール「セントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン」に進んだ。

 世界トップ3に数えられる同校は、Stella McCartney(ステラ・マッカートニー)、John Galliano(ジョン・ガリアーノ)、Phoebe Philo(フィービー・フィロ)、Riccardo Tisci(リカルド・ティッシ)、Neil Barrett(ニール・バレット)といった有名デザイナー各氏を輩出してきた。日本人でも「ELEY KISHIMOTO(イーリー キシモト)」の岸本若子、「mintdesigns(ミントデザインズ)」の勝井北斗、八木奈央、「writtenafterwards(リトゥンアフターワーズ)」の山縣良和、「Hidenobu Yasui(ヒデノブ ヤスイ)」の保井秀信、「YAB-YUM(ヤブヤム)」の吉田真実といった各氏が卒業生にいる。

 卒業制作がどこのバイヤーにバイイングされるかは、その卒業生の実力を示すとされる。マックイーン氏の卒業制作は英国「ヴォーグ(VOGUE)」誌のスタイリストを務めたエディター、スタイリストのIsabella Blow(イザベル・ブロウ)氏にすべて購入された。彼女はマックイーン氏のほかに、Philip Treacy(フィリップ・トレイシー)氏やHussein Chalayan(フセイン・チャラヤン)氏らの才能を見出した功績で名高い。

 92年にマックイーン氏が自分の名前を冠したブランドを立ち上げる際、本来のファーストネームの「リー」ではなく、ミドルネームの「アレキサンダー」をブランド名に使うよう、アドバイスしたのもブロウ氏だったとされる。長年にわたってマックイーン氏の応援者だった彼女は2007年に亡くなり、その出来事はマックイーン氏を深く落胆させたという。

 スーパーモデルのKate Moss(ケイト・モス)がプライベートで愛用したことからも分かるように、マックイーン氏の作風はアバンギャルドでありながらクラシカル。そこに完璧なカッティングと仕立て技術が加わり、究極のエッジィを見せつけた。「売れ線狙いは絶対にしない。金もうけに興味はない」と宣言していた潔さはビジネス重視のブランドと一線を画していた。


 例えば、今では当たり前のモチーフになったスカル(どくろ)柄を大流行させたのは、「アレキサンダー マックイーン」ブランドのスカーフ。ただ見た目がきれいな取り澄ましたファッションではなく、死や暗黒面にも価値を見出す世界観はモード界に異端の風を吹き込んだ。スポーツブランド「PUMA(プーマ)」とのコラボレーションもヒットした。

 マックイーン氏が自身のブランド以外で話題を集めたのは、96年にフランスの老舗メゾン「Givenchy(ジバンシィ)」のデザイナーに抜擢された時。ガリアーノ氏の後任として就任したマックイーン氏は「ジバンシィ」にテイラーリングの美を持ち込んだ。前衛とクチュールスタイルを融合した作風は喝采で受け入れられた。


 「アレキサンダー マックイーン」はロンドンコレクションを経てパリコレに参加。パリコレでも最もドラマチックでスペクタクルな作品を発表し続け、2000年からはグッチ・グループ傘下に入っている。最晩年の顧客となったLady GAGA(レディー・ガガ)は「バッド・ロマンス」のミュージックビデオでマックイーン氏作品を着用している上、「ボーン・ディス・ウェイ」はマックイーン氏が自分に乗り移って作ったと述べている。

 没後はサラ・バートン(Sarah Burton)氏が後任のクリエイティブディレクターに就いている。キャサリン妃のウェディングドレスを仕上げたのもバートン氏だった。英国生まれで、セント・マーチンズ卒というところもマックイーン氏と同じ。96年に「アレキサンダー マックイーン」に入り、マックイーン氏の右腕的存在に。2000年からはウィメンズウェアのヘッドデザイナーを任されてきた。


 貴族階級ではないキャサリン妃が労働者階級出身であるマックイーン氏のブランドを選んだのは象徴的とも映る。「ファッション界のフーリガン」とも称されたマックイーン氏は大企業やリッチ層にこびない態度を貫き続け、ランウェイショーの最後の挨拶にも、チェック柄シャツやジーンズで現れた。

 挑発的な言動やスリリングな表現はたびたび騒ぎを呼んだ。しかし、大胆なクリエーションは毎回、彼の実力を証明し続けた。今なお早すぎる不在が惜しまれるのは、反骨的なソウルを感じさせるデザイナーが減った今、無理もないところだ。自ら命を絶った理由ははっきりしないままだが、最愛の母と死別したことがきっかけになったと見る向きは多い。遺体発見の翌日には、母の葬儀が予定されていた。まだ40歳だった。

 もう次のクリエーションは見られないが、過去の作品群を一度に公開する大規模展覧会が5月4日、ニューヨークのメトロポリタン美術館で始まった(7月31日まで)。この『Alexander McQueen: Savage Beauty』展では、アーカイブから約100作品が展示されている。

 ロマンチックとグロテスク、伝統とモダン、はかなげでむき出し、リリカルでたくましい。相反する要素をねじり合わせ、組み伏せるマックイーン流のクチュールを見届けるまたとない機会になるはずだ。足を運べなくても、公式サイトで主な展示作品が写真と動画で公開されているので、その片鱗に触れることができる。展覧会タイトルの「savage」とは英語で「どう猛、凶暴な、残酷な、野性の」といった意味。ファッションのお約束やセオリーに反発し続けたマックイーン氏を象徴するのにふさわしい言葉と言える。

(文:ファッションジャーナリスト 宮田理江)