“生きること”とは何か 『夜と霧』に学ぶ

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 『夜と霧』(池田香代子/翻訳、みすず書房/刊)といえば、出版から50年以上経った今なお世界中で読まれているロングセラーで「言語を絶する感動」と評されています。オーストリアの心理学者、ヴィクトール・E・フランクルが第二次世界大戦中にナチスによって強制収容所に送られた体験を基に書かれており、戦争を扱った数ある作品のなかでも代表的なものです。

 どうして『夜と霧』は「言語を絶する感動」と評されているのでしょうか。
 それは、この本が国境や人種、世代を越えて「生きる意味」を問いかけ、「人間の強さ」をありありと表現しているからです。
 極限の状況下で、被収容者たちがどのように絶望し、どのように生きる希望を見出していたのか、「生きる」とは何かということをどのように学んだのか、ということをフランクルは克明に描きます。

 生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言語を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きることはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。(p130)

 フランクルは、ニーチェの格言を例にあげながら、被収容者たちには生きる目的をことあるごとに意識させ、収容所生活のおぞましさに抵抗できるようにしてやらねばいけないと言います。そして、生きる目的、即ち未来を失った者たちから堕落していきますが、その中で、ごく少数の人びとは内面的な勝利をかちえた、とつづります。

 ・・・だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代わりになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性があるのだ。(p131)

 本書では、「生きるとは何か」ということが繰り返し問われていきます。その中で、読者は生きるということ、生き続けるということにたいして担っている責任の重さを気づかされるはずです。

 『夜と霧』は決して絶望的な作品ではありません。むしろ、フランクルが収容所の体験から見出したのは、「人間」のありのままの姿であり、そして、「生きるとはどういうことか」についての希望が含まれた回答です。
 今なお読まれ続けているこの『夜と霧』に、現代人が学ぶべき点は多いはずです。
(新刊JP編集部/金井元貴)



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