ゴールデンウィーク中に観る映画は決まっただろうか。もしまだなら、マイケル・ウィンターボトム監督の『キラー・インサイド・ミー』をお薦めしたい。〈安物雑貨店のドストエフスキー〉こと、ジム・トンプスンの『おれの中の殺し屋』(三川基好訳/扶桑社海外文庫)のほぼ原作に忠実な映画化作品だ。
 簡単に原作をおさらいしておこう。これは1952年にペイパーバックで刊行された小説だ。舞台となっているのはテキサス州のセントラルシティ、誰もが顔見知りで、互いに礼儀正しく振舞うのが鉄の掟となっているような、ポタージュスープのように関係性が濃厚な田舎町だ。石油会社を経営するチェスター・コンウェイが町のボスで、保安官助手のルー・フォードも彼の言うことを聞かざるをえない。ある日ルーは、町はずれの一軒屋を訪れた。そこに町の外からやってきた女が住み着き、娼婦のような真似を始めたからだ。実はチェスターの息子、エルマーが女に入れあげており、ルーは彼の意を汲んで女を立ち退かせに来たのである。ルーから来意を告げられると、その女・ジョイスは、激昂して彼を平手打ちする。その瞬間、彼の中で何かが目覚めたのだった。気がつくとルーはジョイスを縛り上げ、尻を滅多打ちにしていた。その獣のような振る舞いに欲情したのか、ジョイスはルーをベッドに誘ってきた。彼女の肉体に溺れるルーだったが、心の中では別の考えが生まれ、次第に形を成していた。その考えが具体的なものとして形を成すとき、血が流され、人が命を落とすことになる。
『おれの中の殺し屋』の凄さは、主人公ルー・フォードの人物造形に尽きる。町の人から見たルーは性格温厚な好人物で、いつもくだらない箴言を口にして悦に入っている、無害な男だ。そのルーが突如として変貌し、何か別のものになってしまうさまを、トンプスンは痙攣的現象といってもいい唐突さで描くのである。その得体の知れない怪物ぶりが恐ろしい。結局ルーはある事件を引き起こす。そのことが引き金になって次々に事件が誘発され、セントラルシティは血腥い臭いに包まれていくのである。小説後半、悪化する事態の中で、冒頭とはまったく違う人間にルーは見えるようになる。
 極めつきは最終章、幕切れの一行だ。ルーの「おれたちみんな(All of us)」という言葉で物語はしめくくられる。それは何を意味するのか。「おれたち」とは誰をさし、なぜそれが「みんな」なのか。社会の中でルー・フォードのようにしか生きられない者たちへの哀訴の言葉ととることもできるだろうし、「おれたちみんな」を「おまえらみんな」と逆転させ、ページの向こう側にいる読者はみな、ルーの運命を他人面して眺めている資格などない同じ穴のむじななのだ、と呪詛したものとも考えられる。とにかく、読んだ人の心に楔を打ち込まずにはおかない小説で、犯罪小説の金字塔と呼ばれるにふさわしい作品だ。
 映画版はこのどうしようもなく心に絡まってくる原作の味を、完璧な形で写しとった。ジム・トンプスンの文体は、ほとんど痙攣的といってもいいほどに文脈が飛び、前後の記述に矛盾があることなど日常茶飯事。書き飛ばしたようにさえ見える文章の中から物語が立ち上ってくる、不思議な文体だ。魔術的な要素を再現するのはさすがに不可能だったと思うが、ウィンターボトム監督は最適の解を繰り出してこの問題を解決した。テキサスの田舎町、という地理的特質を強調し、平和極まりない町の風景と悲惨な事件の場面を対比させることにより、その異常性を際立たせて見せたのだ。
 もう一つ優れているのは役者のキャスティングで、ルー役のケイシー・アフレックは初め、阿呆のような笑みを顔に張りつかせたつまらない人物として観客の目に映る。それが豹変する瞬間の衝撃は相当なもので、一気にルーという男の内奥に引き込まれていくのである。それ以外では、娼婦のジョイスを演じるジェシカ・アルバが完璧。原作ではジョイスは、単なる蓮っ葉な女として描かれるのだが、ジェシカはそこに少女を思わせるコケットを付け加えて見せた。彼女の存在によって、この映画はルー・フォードの物語から、ルーとジョイスの物語へと変化したといってもいい。
 時間を気にしなくていい小説と違い、映画は観客を椅子に縛りつけ、最後まで観続けさせなければいけない。この作品については監督の勝利だ。109分間、身じろぎもせずにスクリーンを注視し続けた。上映館は限られているが、ぜひ一人でも多くの人に読んでもらいたい。そして、できることならば原作もご一読を。いや、映画を観れば、必ず小説も読みたくなることだろう。それだけの力がある映画であり、原作なのである。乞うご期待。

(杉江松恋)







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