4月15日に太田出版から発売された雑誌『ケトル』。本屋特集で地方の書店代表として村営書店「ほんの森いいたて」(福島県飯舘村。福島第一原発から30キロ以上離れているが、地形や風向きの影響による放射線量が多く、4月22日には全村が避難対象地域に指定された)を取材していたが、その後震災と原発事故が発生したことにより店舗と連絡が取れなくなり、誌面では「ほんの森いいたて」の安否確認の情報提供を呼びかけつつ記事を掲載した。

 しかし、4月21日、同書店から無事を知らせるメールと、震災後の詳細な状況報告が編集部に届いたことが明らかになった。被災地区の書店員による現場のリアルな記録としても価値ある情報と判断し、届いたメールの一部転載を承諾いただいたため、下記に紹介したい。

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 (ほんの森いいたて 書店員様から雑誌ケトル編集部に宛てたメールの一部抜粋)
 3月11日の地震の日は、私と、高校生アルバイトの二人で仕事をしていました。結構揺れたのですが、ほんの森の建っている地盤が固かったため、立っていることもできました。建物の被害は、瓦がずれたり、多少ヒビが入ったりした程度で本当に営業には全く支障のない程度ですみました。棚の本は9割がた落ちてしまいましたが・・・。地震直後から片付け始め、翌日午前中いっぱいかかりつつもお店はまた営業できる状態になりました。が、停電していましたし、月刊誌等の荷物も来なくなったのでとりあえず休業に突入しました。私も自宅待機になりました。待機中に、原発が爆発したり物資がなくなったりといろいろ、本当にいろいろなことがありました。

 原発が爆発した最初の晩10時頃に、村内を村の広報車が回りまして、「こちらは、飯舘村役場です。本日、福島第一原発で、爆発が起きました。放射能の危険がありますので、村民の皆さんは外出を控えてください。こちらは〜」というループ放送をしていました。停電中にロウソクを灯し、子ども達の寝ている部屋でその放送を聞いた私は、とてもショックを受けました。まだ放射能に対する知識が全くなかったので、ただただガンになって死ぬんだろうなと思い、あの時は本当に涙がでました。翌日に聞いた話の中には、「飯舘村には、放射能の心配はあまりない、外出しても大丈夫」という説もありましたが。私はあまり信用せず、その日からさらに、子供達や家族と引きこもりの生活をしていました。

 地震から3日後位に電気が復旧して、次々と問題発生の原発のニュースを見、宮城や岩手の海岸の有様のニュースを見ていたら、不安の度合いを越してしまいました。そして、そのうち、放射能の危険にもなれてしまい、3月25日頃から仕事に出始めました。月刊誌等の配達の復旧にあわせて、3月28日から正式にお店を再開しました。

 お店を再開してからも、いろいろありました。今、計画的避難区域に指定されようとしている飯舘村です。まだ正式に指定されていない(編集部注:本メールは、4月21日時点に受信しました)ので、被災証明も出してもらえない状態です。私を含め、子供のいる世帯はとてもあせっています。一日も長く村にはいたくないのに、でも出られない。出る人は自力でアパートなりを探して自費で出るしかなく、またそれにかかった費用は、補償されるかどうかもわからない。でも出なければ、出れば村内で働いている人は通うのが大変になる。問題だらけなのに、どこの箱を開けても答えはない。地震後からとにかくずっと悩みっぱなしです。

 ほんの森の行く末も今はまだ決まっていません。計画避難に指定されれば出なければいけないので、村の指示に従い、長期休業か閉店の選択をすることになると思います。でも、なるべく長く営業し、全村避難になった場合も、店内の雑誌類だけ返品し、書籍類は残して再起への糧とし、そしていつの日か、必ずお店を再開しようと思っています。

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『ケトル』
 著者:
 出版社:太田出版
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