減税すればいいってものではない

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4月24日の衆院愛知6区補選で、地域政党“減税日本”が自民党に負けた。名古屋では減税旋風を巻きおこした河村たかし名古屋市長だが、その風は国政にまで吹かなかったようである。

同党は、マニフェストに「市民税10%減税継続」をかかげ、その理由として「税金を払っている庶民の暮らしは苦しくて、税金で食べている方(議員、役人)が極楽の社会を変えなければいけない、というのが基本的な考え」としている。その単純さゆえに、「おっ、いいこといってるじゃん」と思いがちだが、ほんとにそうなのだろうか?

まず、税金とは何か。国税庁ウェブページの『税の学習コーナー 入門編』によると、「みんなのために役立つ活動」や「社会での助け合いのための活動」、つまり「みんなで社会を支えるための“会費”」が税金だとしている。徴収する側が無駄づかいをしないという前提であれば、支払うことに抵抗は感じない。

このたび起きた東日本大震災では、被災者の支援や被災地の復興で多くの税金が使われる。惨状の規模があまりにも大きく、その実情がマスコミで繰りかえし報道されたので、この税金投入にクレームをつける人はあまりいない。つまり、この震災に関しては、税金の使い道が支援・救済、そして復興であることについて、支払う側の納税者が納得しているのであろう。

とはいえ、こういうときだからあえていうが、自分の責任がおよばない理由で困窮している人は、被災者だけでないということにも注意が必要である。超氷河期で就職できない学生、限界の状態で親の介護をせざるをえない息子や娘、親に捨てられた子どもたち……。税金を使って支援・救済すべき人たちは、まだまだたくさんいる。

ここで、“減税”を考えてみる。例えば、所得税や地方税が減れば、その分、個人の持ち金が増える。しかし、税金が減った分、「みんなで社会を支えるための“会費”」が減り、困窮している人たちを支援・救済するお金も相対的に減ると考えるのが妥当であろう。

今回の東日本大震災であきらかになったように、自分がいつ、どこで、どんなかたちで困窮するのかということは、そう簡単には予測できない。そして、そのリスクは、お金持ちか貧乏かという個人的な豊かさの指標とは、あまり関係がないと思われる。さらに、震災以外でも、自分の責任がおよばない理由で困窮する可能性は、いくらでもある。

もし困窮する人びとを支援・救済できる可能性が減ると考えた場合、やみくもに“減税”することがいいのか悪いのか、慎重に考えざるをえない。“社会を支える”ため、また、ときには社会に支えられるためには、ある程度の税金が必要不可欠となるからだ。

2011年4月17日付の東京新聞で、政治学者の山口二郎さんが「自然災害以外にも、自分の責任が及ばない理由で苦難に喘ぐ人々は、税金を使って支援、救済すべきである」と提言している。そして、「税金の使い道を監視するのが民主主義である。それにしても、社会連帯のために税金を払う意思がなければ、民主主義も成り立たない。闇雲に減税を叫ぶことは、政策の役割を否定することである」とつづける。

減税するにせよ、増税するにせよ、重要なことは、税金の使い道を私たち国民が監視すること。さらに、社会のシステムが正常に機能しているかどうか監視するとともに、困窮している人たちを放置しないような仕組みを築くことである。“減税”を提言する政党や政治家は、まず、そういった社会が税金を減らした上で築けるのかどうかを熟慮し、私たち国民にその具体案を提示すべきだ。

誰だって、税金の支払額はできるだけ少ないほうがいいに決まっている。しかし、減らすことによって、いざ自分が困窮したときに、また近隣の人びとが困窮したときに、まともな支援・救済が受けられないのであれば、いまは減らさなくてもよいという考え方もあっていいと思うが、いかがなものであろう。

(谷川 茂)



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