江戸幕府二代将軍・徳川秀忠が最も尊敬した人物

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 往々にして「二代目」というのは、非常に地味な存在であると認識されます。そして、初代が偉大な人物であればあるほど、初代と比較され、凡庸であるイメージが定着します。
 しかし、長い歴史を築いた組織はたいてい二代目がしっかりと基礎を固めているのも事実です。江戸幕府二代将軍の徳川秀忠はその最もたる存在でしょう。

 秀忠は1605年に家督を受け継ぎ二代将軍となりますが、実際は父、徳川家康の院政が続いたといいます。その間、幕臣からも軽んじられ、家康のお飾りとして耐え続けます。
 しかし、1616年に家康が亡くなると、その仮面を脱ぎ捨て、最終的に41家を取りつぶすという大名統制策に乗り出しました。新書『二代将軍・徳川秀忠―忍耐する“凡人”の成功哲学』(河合敦/著、幻冬舎/刊)では、秀忠が起こした数々の人事革命は織田信長に学んだのでは、と推測しています。

 本書の著者の河合敦さんは、秀忠がもっとも尊敬していたのは信長であり、「織田信長ほどすぐれて猛勇なるはなし」と言っていると指摘します。その上で、秀忠は次々と容赦なく落ち度ある大名たちを取りつぶしながら、新たに家来たちを大名に取り立てており、この手法はもしかしたら信長のやり方を模倣したのではないかと考えています。
 確かに信長も譜代の家臣たちを容赦せず罰し、能力の高い者をどんどん登用していきました。秀忠も弟の松平忠輝を改易しつつも、関ヶ原の戦い以来改易されて浪人生活を送っていた立花宗茂を取り立てて、最終的には完全に大名に復帰させています。
 また、そうした尊敬の一方で、信長は人を従わせることを好み、仕えることを嫌ったため本能寺の変を誘発してしまったと秀忠は主張しているといいます。

 秀忠は宗茂や藤堂高虎、細川忠興ら、歴戦の大名たちの話をよく聞き、学んでいたそうです。こうした人から学ぶことができる姿勢を持ち合わせていたからこそ、秀忠は二代目将軍として江戸幕府260年の基礎を築くことができたのかも知れません。
(新刊JP編集部/金井元貴)


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