国家犯罪とパニック【テレンス・リーのニュースを斬る!】

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前々回、私は陰謀論に懐疑的だといったが、陰謀が存在しないとは思っていない。陰謀といえばきな臭いが“国家犯罪”といえば納得できる。国家犯罪は確実に存在する。

もちろん、“国家犯罪=陰謀”との方程式は成立する。うがった表現をかりれば陰謀の一端でも露見した途端、それは“国家犯罪”の腐臭を発する。

例えば、ジョン・F・ケネディの暗殺がそうだ。ウォーレン委員会の報告書にあるリー・ハーベイ・オズワルド単独犯行説など、あまりにも杜撰で陰謀の体裁を整えていない。陰謀は完璧でなくてはならない。巷間に疑いの目が生じた瞬間、陰謀は国家犯罪に格下げとなる。これはなにも言葉遊びをしているのではない。

国家犯罪はなんとも巨大な組織によって遂行される。国家だ。ところが、あまりに巨大なるが故に水が漏れ、蟻のはい出る隙が生じる。計画段階では完全無欠であっても、必ずどこかでボロが出る。理由は共犯者が多すぎるからだ。どんな犯罪でも共犯者が5人を超えると、成功率は断然に低くなるといわれる。

つまり、国家は官僚機構であるから、わずか数人でめぐらせた計画でも、末端の実行部隊に意思が通達されるまで、数百人規模で共犯者のピラミッドが形成される。当然、加担に躊躇(ちゅうちょ)、拒否する者もあらわれるから、そもそも機密の漏洩は絶対にせきとめられない。

ところが、国家とは厚顔無恥において際限がないから、無茶苦茶な詭弁を弄して有り得ないストーリーを捏造する。ウォーレン委員会の報告書など真面目に読んでいると、腹が立つのを通り越して吹き出してしまう。

だからこそ国家犯罪は怖いともいえる。あらゆる齟齬(そご)を強引に修正するからだ。明々白々な証拠を露骨に隠滅する。人為的な隠滅を偶然だと言い放つ。結果ありきでストーリーが綴られるから、「自殺に偽装した他殺」のつもりが、「絶対に他殺」としか判定できなくても、問答無用で自殺に仕立てるわけだ。

現在、日本国民は疑心暗鬼になっている。政府の発表は本当なのだろうかと戦々恐々としている。いうなれば国民のあいだに広がるパニックも“国家犯罪”といえるだろう。

だからこそ我々は事態を冷静に眺め、その渦に巻き込まれないよう注意するべきなのだ。

(テレンス・リー)


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