悲しみを乗り越える術は何か

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東北地方太平洋沖地震の被災者の方々、とくに家族が亡くなられたり行方不明だったりする方々の想像を絶する悲しみに対して、東京で暮らす筆者がどれだけ寄りそうことができるのか。あまり自信はないものの、その悲しみをすこしでもまぎらしたり、その悲しみを乗り越えるきっかけとなるような術を探ってみることは、無意味ではなかろう。

1975年からの3年8カ月、ポルポト政権がカンボジアを支配し、120万人が虐殺されて亡くなったといわれている。筆者は、同国に長期滞在して多くの人に話を聞いたが、会う人のほとんどが親類の誰かを同時代に亡くしていた。同政権が崩壊した直後の1979年には、国土が荒廃し、飢餓と貧困、そして疫病がまん延しているような状況であった。

そんな、復興にはほど遠い時期のカンボジアで、当時の文化情報大臣で劇作家のチェン・ポンさんがおこなった“政策”のひとつは、こうだった。まず、生き残ったお笑い芸人や歌手を集める。そして、人も大地もずたずたになったカンボジア全土を巡回し、極限状態におかれた人びとに笑いと歌を振りまいたのである。この巡業は、「いやされた」「心がなごんだ」といまでも現地で語りぐさになっている。

笑っているときには、一瞬であれ、悲しみは吹き飛ぶものではないか。もちろん、一瞬だけ吹き飛べばいい、と言いたいのではない。だが、大きな悲しみと耐えがたいつらさに見まわれたとき、その状況が限りなくつづくのと、一瞬でもそれを忘れることができるのとでは、心の状態が大きく異なるものだと思う。

想定外の災難が急におとずれた人の気持ちを、想像してみよう。まず、途方にくれる。そのあと、大きな悲しみがやってくる……。そんな状況におかれた場合に必要となるのは、おかれた状況をすこしでもよくしていこうとする被災者自身の意志と周囲のサポートである。とくに、被災からしばらく時間が経過したときには、被災者が「悲しみを乗り越える術は何なのか」を周囲の人びとが考え、実行することが重要である。

犠牲者に対する追悼の意はたいせつなことだが、なんでもかんでも自粛すればいいってものではない。もちろん、タイミングを考える必要はあると思うが、被災地にユーモアや音楽が求められるときが、そう遠くない日にきっとやってくるような気がする。いみじくも、TBSラジオ『キラキラ』(2011年3月17日放送分)に出演中のピエール瀧がこういっていた。

「いまこそ、被災地に“街のお調子者”が必要とされている」

(谷川 茂)


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