2010年10月に刊行され、現在に至るまで版を重ねている画期的な「理工学書」がある。
 創元社『世界で一番美しい元素図鑑』がそれだ。手元の本で奥付を見ると、2011年2月10日に第1版第5刷が刊行されている。
 元素。そう聞いただけで私などは頭の中にあの「水平リーベぼくの船。七曲ある〜」という謎の呪文が再生され、あの暗記あたりで自分は化学の授業から落ちこぼれたのだよなあ、とため息をつきたくなる。そしてこの本を見ると、さらに残念な思いに駆られるのである。なぜかといえば、高校生時代にこんな楽しい本があれば、間違いなく自分も化学好きになっていたに違いないからだ。数学の能力というものがあるので理工系学部に進むのは無理だったにしろ、もしかすると鉱物コレクターとかにはなっていたかもしれない(今からでも遅くないか)。
 著者のセオドア・グレイについて、この本の著者紹介を参照して描く。彼は数式処理システム「MathematicaⓇ」や質問応答システム「Wolfram Alpha ™」の開発で世界的に知られるウルフラム・リサーチの共同設立者で、現在は同社ユーザーインターフェース技術部門責任者を務めている。同時にサイエンス・ライターとしても活躍し、「ポピュラー・サイエンス」誌にコラムを長期連載しているほか、周期表をテーマとした(ほら出た!)ウエブサイトperiodictable.comを主宰、周期表をかたどって中にそれぞれの元素を収めた木製の机「周期表テーブル」(本書の235ページに写真で紹介されている)を制作したことに対して、ユーモアにあふれる科学研究に対して送られる「イグノーベル賞」を贈られている(2002年度)。写真担当としてクレジットが出ているニック・マンは、グレイの言葉を借りると、当初は「作業場周辺に飛び散ったガドリニウム(原子番号64)粉末を掃除する作業員として雇」ったが、すぐに写真家としての腕を発揮、本書の共著者の地位にまで上りつめた。『世界で一番美しい元素図鑑』の魅力の半分は、グレイのユーモア溢れる文章、そしてもう半分はマンによる、美しい写真の数々によって醸し出されたものだ。おそらくニック・マンは、世界でもっとも多くの元素を撮影したカメラマンである。

 本書は原則的に見開き1つで1つの元素を紹介する構成になっている。左のページには原子番号と、その元素の写真が「可能であれば」載っている。可能であれば、というのは元素の中には政府によって所持が禁止されているものがあるし、中には半減期が短すぎて写真撮影をすることが困難な元素も多いからだ。そうした元素が本の後半には集中しており、たとえばプロトアクチニウム(原子番号91)の場合、燐銅ウラン鉱の写真が掲載され「ひょっとすると時々は、この石の中にプロトアクチニウムの原子がいくつか顔を出しているのかもしれない」とキャプションがつけられている(これまでに原子がほんの数個、実験室の中で作られたことがあるだけの元素の場合それさえも不可能だが、どのような写真が掲載されているかは本で確認してみてください)。
 右ページには原子量、密度、原子半径、結晶構造、電子配置、原子発光スペクトル、物質の状態などの諸データが記されている。化学の素養がない読者の場合(私のような)ここはなんとなく眺めていればいい。ときどきグレイはこのデータについて言及するが、それを読んでいると、元素周期表がなぜあのような形をしているのかが、漠然と判ったような気になってくるのだ。この敷居の低い感じが本書の美点である。本当に、あのころこの本があったらなあ。
 そしてもっとも素晴らしいのは、各元素についてグレイが述べるトリビアの数々と、それに関連したスナップ写真の数々である。たとえばプラセオジム(原子番号59)の項目では、これが英語表記でもっとも横幅をとる元素であることがわかる(Praseodymium)。文字数でいうとラザホージウム(原子番号104)のほうが多いのだが(Rutherfordium)、mが2つある分、プラセオジムのほうが横に長くなるのだ。こんな知識と、プラセオジムの特殊用途が吹きガラス職人が目を守るためにかけるジジミウム眼鏡を作ることであることが併記され、そのジジミウム眼鏡のレンズが掲載されているのだ。他のページもこんな具合。不買運動が起きたことのある元素が炭素(原子番号6)とタンタル(原子番号73)の2つで、タンタルのほうは採掘地がゴリラの生息域と重なっていたからだという事実や、ラジウム(原子番号88)にかつて健康増進機能があると考えられていた時期があり、男性の股間に押し当てる精力増進器さえ作られていた(実際に元素は入っていないが、ラジウム・コンドームという商品名の避妊具もあった。たしかに精子は死にそうだ)という歴史が紹介されれば、そこには必ず関連商品の写真が載せられている。グレイのコレクター気質がページから立ち上ってきており、微笑ましく感じる。
 本書を読めば、今までなじみのなかった元素にも間違いなく親近感が湧いてくる。私はニオブ(原子番号41)が結構好きになった。まさか自分の人生で、原子番号41のことを考えるようになる日が来るなんて!







■ 関連記事
『東野圭吾堂々の最新刊『麒麟の翼』』(2011年3月3日10:53)
『辻村深月が大化けする!〜『本日は大安なり』』(2011年3月1日18:16)
『ベンチャー企業TENGA創業記』(2011年2月22日18:38)


■配信元
WEB本の雑誌