漫画座談会「裾野をひろげないと漫画というジャンルが死んでしまう」『コミPo!』田中圭一×喜多野土竜×一色登希彦×スチームトム

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絵を描かなくても漫画を作ることができるソフトとして昨年末(2010年12月)発売され注目を集めた『コミPo!』というソフトウェア。作曲に使う「シーケンサー」というソフトにその役割が似ているところから「コミックシーケンサー」とも呼ばれるこのソフトだが、音楽のシーケンサーが音楽制作の現場に溶けこんでしまったように、漫画制作の現場でも『コミPo!』のようなソフトウェアがなくてはならないものになってしまうということが将来的にあるのだろうか。『コミPo!』プロデューサーの田中圭一氏を迎え、今ネットで注目を集める漫画関係者が集まり、メール座談会形式で熱く語り合った。『コミPo!』の話をきっかけにしながらやりとりは深まり、漫画界の将来にとって必要なものについても話し合われた。

●参加者
田中圭一:漫画家。絵を描かなくてもポッと漫画が作れちゃうソフト『コミPo!』の生みの親。
喜多野土竜:元編集者・漫画原作者。
一色登希彦:漫画家。「日本沈没」「モーティヴ」「ダービージョッキー」等。この3月より佐藤秀峰との合作「ボクマン」連載開始。
スチームトム:新人漫画家。社会人生活を続けていたが、2010年に突如仕事を辞め独立。ゼロから漫画家の道をスタートしたばかり。この座談会の進行役。
【漫画座談会について】漫画に関係するゲストを迎えながらTwitterやメールなどを活用して座談会を不定期におこなってます。前回の漫画座談会はこちらからどうぞ。
※企画:深水英一郎(ガジェット通信)

●『コミPO!』はプロでも使えるのか

夢のツール?

スチームトム:私は『コミPO!』を発売前のベータ版から使わさせていただきました。実際にとても使いやすくて絵を描かずに漫画を描くことにかけては非常に便利ですよね。年があけて、ますます盛り上がりを見せています。1月には『コミPo!パーフェクトガイド』なる本も出て、2月3日にはVer1.20の体験版のダウンロードができるようになりましたね。

その中で、『コミPO!』のいろいろな使い方が発見(?)されてきていますが、田中さん自身は、『コミPO!』を“原作者”が“漫画家や絵師”に伝えるツールとしてや、編集者が漫画家の“ネーム”や“構図”を確認するためのツールとして使う事も視野に入れておられますか?

というのも『コミPO!』をさらに改良してプロ仕様の『コミPo!』みたいなものができたら、漫画制作の現場を助けられるのではないかなと感じたりします。

一色:その質問は自分も同じく田中さんにお尋ねしたいことです。すでに以前にも伺っていることではあるのですが。「どのような人を想定してお作りになったのか、また今後どのような人が使う事を想定なさっているのか。

田中:将来的にはプロ用に特化した『コミPo!』 はあってもいいと思います。ただ、現状ではライトユーザーへの普及が重要だと思っています。もっと多くの人に『コミPo!』を知ってもらい、手軽な漫画表現を味わって欲しいですね。

喜多野:なるほど、田中さんとしては現状ではライトユーザーの為のツールであると。レタリングの技術や知識がない人間が『Illustrator』でロゴのデザインをしたり、描く技術がなくても『Photoshop』で素材を使ってイラストにするのと同じような。

ここでちょっと、一般の漫画投稿者との認識にずれがあるのではないかと。

どうも投稿者や漫画家、原作者も含めて、先走りすぎている気がするんです。作り手はコンシューマ向けのツールとして、普及を図ろうとしているのに、何やら誰でも漫画が描ける夢のツールと受け止められているのではないか。

一色:そうした点で記憶にあるところですと、『コミPO!』発表の前に竹熊健太郎さんが「スゴいソフトが出る」と仰っていたこととかが印象に残っています。

スチームトム:私も竹熊さんが「すごいソフトが出る」の宣伝時の印象を覚えています。絵を描けなくても漫画が描ける! というコピーで出したよね。正直その時は、そんな馬鹿な! と思いました。

喜多野:自分も、スゴいソフトであることには、まったく異論はないんですけどね。ただそのスゴさの意味するポイント問題ですかね。そこが気になるもんで、今回はちょっと意地悪な視点で、意見を述べさせてもらいますか(笑)。

スチームトム:意地悪!?

田中:現行の『コミPo!』でも、限定的ではありますが“原作者”が“漫画家や絵師”に伝えるツールとしてや、編集者が漫画家の“ネーム”や“構図”を確認するためのツールとして使う事は可能です。

一色:自分は、その“ネーム作り”や“ネーム確認”の用途には向いているようには感じました。だからキャラクターにも無個性な“まるちょんのデッサン人形”があるとよいなとも思いましたし。

スチームトム:あ!それいいですね。実際のデッサン人形って複雑な動きができなくて、でも描きにくいポーズって複雑なポーズですよね。確か昨年末にあった『コミPO! 大喜利』でポーズをもっと増やしたい……まずは竹熊さんの“ちんぴょろすぽーん”ポーズを入れたいとおっしゃられてましたね。

喜多野:一色さんのイメージとしいては、ネーム原作などでの必要最低限の記号としてのポーズ用のキャラクターという感じですね。いっぽうトムさんはもっと完成度の高い、完成した漫画に複雑なポーズのイメージ。そこの求める物のズレが、やっぱり存在する感じですかね。

原作者の場合、ネーム原作を切る場合、一色さんが言うような、シンプルな絵にします。理由は簡単で、できるだけ漫画家のイメージを限定しないようにするためなんです。自分が考える『コミPo!』の原作者活用というのは、一色さんのイメージに近いかな?

田中:まず、整理しておきたいのですが、私は『コミPo!』はライトユーザーに訴求させることから始めると言いました。これは、現行の『コミPo!』が、ヘビーユーザーというかプロ用には適さないという意味ではありません。うまく表現しにくいのですが、今はまだ『コミPo! ライト』と『プロ用コミPo!』という二つの製品を想定して、それらを比較して語るべき段階ではない、と思います。

スチームトム:す、すいません。先走ってしまいました。


●『コミPO!』は『初音ミク』になれるのか

現行のコミPo!の基本コンセプト

喜多野:原作者の立場からすると、『コミPo!』に関してはちょっと懐疑的なんですよね。正確に言えば、『コミPo!』に過剰な期待を抱いてる人達に対して、懐疑的かな。『コミPo!』の可能性は否定しないけれど、受け止める側の問題ではないか、と。

それは『初音ミク』が登場したときと、状況が少し似てるのではないかと思います。あの時も「これでプロの歌手はもう要らなくなる」という意見がありました。でもそんなことは現実にはまず起き得ないだろうと、自分は思っていました。

個性的な声質や、本物の技術を持つプロの需要は、むしろ高くなるはずです。淘汰されるのは、譜面を読めないアイドルのために、仮歌を歌うようなプロ。キツイ言い方をすれば、技術はまぁまぁあるけれど個性はあまりないタイプ。

その『初音ミク』も、正確に音符を並べただけでは、感動的な歌声にはならない。“調教”する人の技術やセンスによって、同じ曲がずいぶん違う出来になる。さらにオリジナル曲の発表となると、作曲と作詞のセンスも、問われてくる。

逆に、作詞作曲編曲の才能があるけれど、声が良くない人間ならば別ですよ。実際、そういうタイプが独自に作曲した曲が『ニコニコ動画』で評価を得ている。プロやセミプロが自己表現のツールとして一定以上の評価を得ていますから。

いちおう自分は、文字のみの原作もネーム原作も、両方共やりますけれども、原作というのは、ただの物語の素材(少なくとも自分にとっては)ですから。文字原作よりもネーム原作が優れているとは思わないし、その逆も然りです。

文章よりも絵のほうが、状況を作画担当者に伝えるのに適した場面もあれば、逆にネーム原作が作画担当の想像力を制限してしまう場面も、多々あるわけで、作画担当を自分のビジョンを具体化するための道具と思っては、問題です。

田中さんがおっしゃるように、原作者が意図を正確に伝えるツールとしてや、編集と漫画家がネームや構図を確認のためのツールとしてならばともかく、それ自体が作品としての完成度を謳うには、まだ問題点があると思います。

スチームトム:作品として完成していたかわかりませんが、とあるブロガーが石原都知事の小説が強姦シーンばっかりじゃねえかというオチでつづった4コマが秀逸でした。無個性であることが有利な場面において恐るべき相乗効果を発揮しますよね……。

田中:今はライトユーザーのために足りない機能やデータを追加するのが春から夏くらいまでの見通しです。現行の『コミPo!』の基本コンセプトは「漫画を描きたくても描けない人の為のツール」です。これの将来像は、音楽のDTMと同じようにデータを組み合わせて漫画を描くという手法をプロの現場でアナログ的な手法と並列させていくことだと思っています。

喜多野:素材の組み合わせ、という事ですね。Macユーザーだと『GarageBand』のような? 確かに音楽の場合は、それ自体が充分にひとつの完結した作品になり得ますね。初音ミクのオリジナル曲などで、仕事のBGMになることで証明されています。

でもその曲を生声で歌ってみる人が出ると、やっぱりソッチの方が心地いい。素材としての楽曲と、表現される対象の楽曲は、やはり分けて考えるべきでは。同じ曲でも、やっぱり表現者というフィルターで作品は生きたり死んだりする。

漫画という表現も、実は似たような問題を抱えているのではないかと思うんです。漫画コンシューマとでも呼ぶべき人が完成品を目指して『コミPo!』を使った場合と、プロが作品完成の支援ツールとして使用した場合では意味合いが違うのではないかと。

・『コミPO!』が新しい表現を生む可能性

実写は上位か

一色:現時点では『コミPO!』の現バージョンの実際の完成度よりも、こうした発想のソフトが世に出たこと(しかもひとりの漫画家さんが開発なさったこと)に強く思いを致すべきだと思っています。

ソフトウェアや最新機材のスペックなんてあっという間に進化しますから、現時点のスペックに対して渋い事を言いたい気持ちはないです。ただ、喜多野さんのおっしゃる『初音ミク』と生きた人間のボーカルとの違いは未来永劫絶対とは言わないけれど当面の間は在り続ける。

喜多野:マシンに要求されるスペック的な問題は、割と早く解決しちゃうと思うんですよね。そこはもう日進月歩ですから。そこは田中さんも心配していないでしょう。問題は、そういうマシンスペックではない部分、書き手の感性とか表現力の部分。自分は原作者という素材屋なので、やはりそこが気になります。

一色:でも一方、『初音ミク』が生声の下位存在で在り続けるのかというとそれはわからないです。

「現実を伝達表現する手段として、写真や映像の方が、絵やCGやアニメーションよりも絶対に上位である」という言い方では括れない可能性があるのと同じことなのではないかなあ?と。

喜多野:確かに。CGアニメを世に問うたピクサーのジョン・ラセターがそうですね。ディズニー・カンパニーで責任者になったら、セルアニメの復権にも動いた。『プリンセスと魔法のキス』とか、セルにはセルの良さがあると主張していましたしね。

歴史を紐解けば、歴史の教科書でおなじみの近松門左衛門もそうですね。彼は歌舞伎の方から人形浄瑠璃に回帰したんですが、それは役者の色を嫌ったからだと自分は思っています。
生身の人間が演じるってのはメリットも多いですが、どうしても役者に引きずられる。

有名な俳優がときどき声優として演じることがありますが、どうしてもその役者の顔が浮かんじゃいますよね。人形浄瑠璃は細かな所作や表情などは役者に及ばなくても、役者の個性によって台本を書いた作家の作家性を打ち消されることは少ない。アニメーションなどの表現もそうなんでしょうけれども、そこは表現独自の可能性を追求できれば、確立した表現になりうるかもしれませんね。

一色:『コミックシーケンサー』という名の『コミPO!』が今後さらに進化して、肉筆の漫画以上の何かを生み出す道具にならないとは言い切れないと思います。

長期的な希望的な話をしてしまいましたが。「プロ用ツールとして」という展望はどうでしょう?

田中:『プロ用コミPo!』のあるべき姿は、別の軸線で考えるべきだと思います。ネームエディター、絵コンテエディターと呼べばいいのでしょうか? 漫画の製作に入る前段階での漫画の内容検討を容易にするツールとして、ニーズは高いと思います。

スチームトム:確かに別業界ではプロジェクトを管理するツールは山ほど販売されていますよね。漫画現場に特化した管理ツールもあってもいいですよね。あ、これはお金の匂いがしますよ!(無駄に大声)

喜多野:ずっと『コミPo!』で疑問に感じていたことが、おかげ様で明確になってきました。ネームエディターとしての『コミPo!』と、完成品作成ツールとしての『コミPo!』を、田中さんとしては、ある程度分けて考えてらっしゃるわけですね?

将来的にはともかく、少なくとも現段階では、ライトユーザー向け製品だと。現在はまだ過渡期のものなので、じょじょに完成度を高めていく途中だと。そういう区分なら、自分もおおむね賛成なんですけどね。


●『コミPO!』ユーザーからプロデビューは可能か

ジャンルの死

喜多野:あえて、別の軸線として考えてらっしゃる『プロ用コミPo! 』についても、部外者の立場から、少し踏み込ませていただいてよろしいでしょうかね? 前述の素材としてのミク歌と、生声としての表現との差に、引きつけて。

生声でミクの楽曲を歌う人間の中で、プロの歌手になれるのは何人いるのか? 可能性は広がっても、可能性をつかめるのはやっぱり、全体として少数派です。そうやって考えると、今度は表現者の質の問題が、再び浮上してきますよね。

コンシューマが自分の楽しみとして活用したりするのは、よいと思います。でもそれが、何か営利を得られるほどの物になるかどうかは、別ではないか。そこには、容易に越えがたい才能の壁があると、自分は思っています。

江戸時代の文化を見ていますと、素人芝居が大変盛んだった事が分かります。あの頃は歌舞伎が最大の娯楽でしたから、見るだけでは飽きたらなくなる。仲間を集めてやる素人芝居を、一般に“茶番”と呼んだわけですが。

スチームトム:お、雑学ですね。

喜多野:ところが、そういう素人の楽しみとしての芸事の中から、プロが出てくる。落語中興の祖と言われる三遊亭円朝の父親は、そういうタイプですね。昭和の名人古今亭志ん生の父親もそうで、結果的に息子が名人になった。

ジャンルを支えるのは一握りの天才ではなく、厚い裾野の人材ですし、常にそこに人材がリクルートされないと、ジャンルの死がやってきます。ライトユーザー層への普及を田中さんが重視するのも、つながりますね。

一色:アマチェアでもプロでも、とにかく何かひとつのジャンルが栄えるには、興味を持つ人が多くいるべきです。

茶番から名作が、楽しみのお遊びから人の人生を動かす何かが生まれるかもしれませんし、そうした、興味を持つ人を引きつける道具として興味深いです。

以前田中さんからお話を伺った時に、「例えばスーパーのチラシやお店のポップなどに“コミPo!”を使って漫画形式の広告を作る事だってできるというお話を伺いました。「素人の楽しみ」と「プロの商業活動の為の道具」との間にも、そういった多様な使われ方があるだろうということは想像ができます。

スチームトム:最近、『バクマン。』の影響か『ボクマン』の影響か知りませんが、急速的に漫画原作者やゆでたまごさんのような共作でのデビューを目指す方が増えてきていると聞きました。

『コミPO!』での応募が規定上難しいようなのですが、本当に漫画原作者だけを募集するのであれば『コミPO!』でも十分に募集をかけられるのではないかと感じます。というのも、その漫画原作志望者がコマ割りまで想定して話を考えているか、コマ割りは下手だが話はいい……ということが応募の段階で瞬時に分かるというのは画期的だと思います。

『モーニング』で『MANGAOPEN』というものがあって、何でも投稿可とうたっているのですが、毎回応募の度に、原作の審査が大変だとおっしゃられていました。『コミPO!』での投稿を規程にした原作者募集は少しありだと思います。『コミPO!』で投稿してきた面白いネタをプロのギャグ漫画家が書き直せば、さらに面白くなると思います。こんな企画は田中さん、いかがでしょうか?

田中:すでに『コミPo!』で描かれた漫画、特にいままで漫画を描いた経験のない人による傑作がいくつか登場してきています。代表作はSEDESUさんの『ひとりぼっち』( http://ameblo.jp/komipocyan/entry-10748753556.html )です。この作者は、『コミPo!』というツールに触れて初めて漫画作品を描き始めました。なので、この作品を描いた時点ではイマジナリーライン(2つの対象を結ぶ仮想の線、映像を撮影する際に用いられる用語)という概念も知りませんし、演出面でもアマチュアっぽい部分が残っています。それを差し引いても読み手に与える感動は大きいし、読後感も良い、なによりもストーリー展開に合わせて画面の彩度を変える演出は見事です。

喜多野:作品を拝読しましたが、確かに生まれて初めての作品としては高いレベルです。自分が出版社の編集の頃ならば、他の作品プロットを幾つか見てみたいですね。ただ、引っかかったのは先に述べた点と同じく、著者の到達点の設定でしょう。

画面の彩度の設定とか、これ自体完成した作品として意図していますよね? これが作画担当に委ねる素材としてなら、イマジナリーラインのおかしさとか、演出の甘い点は、漫画家の腕次第でいくらでも吸収される程度の問題ですから。

SEDESUさんが、自己表現として『コミPo!』内部で完結した部分を目指すのか、それともこれを原作として、商業作家を目指すのか、自分には分かりません。きっかけとしての『コミPo!』と、その先の書き手の進路の在り方は別でしょう。

それは、『コミPo!』を提供する側の考え方とかとも、関わってきますけどね。完結した作品制作ツールと、過渡的作業支援ツールとしての、ゴールの設定。別の軸線だというのは、明確に打ち出したほうが良いのかもしれませんね。

田中:こういった眠れる才能を発掘できるツールが『コミPo!』なのですから、新人賞の規定に『コミPo!』でもOKとすべきではないかと思います。ただでさえ雑誌は売れなくなってきているし、才能ある新人の発掘は難しくなってきているので、『モーニング』の編集長がおっしゃっていた「面白ければどんな手法でもOK」という広い間口を用意すべきだと思います。

それと、『コミPo!』を使ったユーザーがどこに到達点を置くか、という問題はさほど重要ではないと思います。ボクらの世代では、手塚さん石ノ森さんの『漫画入門』が書店で買えたし、近所の文房具屋でペン先が買えたのです。ツールが手近な所にあり、多くの人がツールに触れることが重要です。その分母が大きければ、そこからプロを目指す人も同人で満足する人も多くなります。『コミPo!』をライトユーザーに普及させたいと思うのは、そういう裾野を広げることに価値があると考えるからです。

喜多野:前の内容と重複しますが、才能が生み出される土壌の拡大は、重要だと思います。絵が描けなければ漫画の制作には関われないという思い込みを打破するのも。ただ、現状では『コミPo!』は原作用の投稿に限定した方が、無難そうです。

講談社の『MANGAOPEN』は、あくまでも商用プロとしての作品募集ですよね。旧来の漫画賞ほど書式や素材にこだわらなくても、求めるのはプロの可能性。原作として素材屋に徹する覚悟がないと、ちょっと辛い場面も出てきますね。

あと、これは本論とズレるんですが、原作の審査が大変とか、泣きごとをいうなと(笑)。

スチームトム:ま、またもや『モーニング編集長』の事を……!(焦)


●編集者への有用性は

漫画の言語

喜多野:あら、やっぱりあのお方でしたか。やっぱり自分とは考え方が根本的に違うわ(笑)。あくまでも一般論として聞いてくださいね。

スチームトム:“(笑)“が怖い・・。

喜多野:編集者は「プロットが大事だ」「アイデアを言語化するのが大事」とか言いますよね。それって単に自分が楽したいからって部分が多いので、気を付けないといけません。

漫画の編集と言っても、本当に適正がある人間は、ごくごく一握りですから。文字原稿を読んで、頭の中でネームが切れるのは、さらに少ないんですよ。また、漫画なら数分で読めるものが、文字原作だと数十分かかるのが現実。

映画の世界でプロットが発達したのも、要するにプロデューサーの要求です。90ページから120ページもあるシナリオを読んでられないから、要約しろと。でも、要約できないからこその作品作り、という側面も確実にありますからね。

作家が『コミPo!』で可能性を広げるのは良いのですが、編集者はどうなのか。先にも書いたように、ネーム原作だからこそ、イメージを限定することもある。文字原作だからこそ、作画担当者の解釈の余地があるわけですからね。

梶原一騎はネームの変更は嫌っても、コマ割りや演出には文句は言わなかった。文字原稿だったため、ちばてつや先生は力石徹を大柄に描いてしまったけど、でも結果的にそれが、漫画史に残るドラマを生み出したわけですからね。

原作付きだろうがオリジナルだろうが、作品にはある程度の緩さがないと、展開の中で生まれるダイナミズムを失ってしまう事は、プロなら経験済み。編集者が楽しては、新たに見つける才能と見逃す才能で、総数同じになりかねない。

一色:もしも編集者の職能に理想を求めるなら、ネームというモノへの理解がより強くあると良いとは思います。抽象論や的外れではなくネームを読み解いて直せる力があると良いなと思いますし、本当にネーム作りのノウハウへの理解があるならば『コミPO!』を使ってネームを作れてもいい。

喜多野:そうそう。現場の理想としては、間違いなくそれはありますけれどね。編集は基本的に絵は描けませんから、『コミPo!』は有効でしょうね。中途半端に描ける編集は、かえって技術の限界で発想が限定される。まったく描けないなら、逆に『コミPo!』で自由な発想で描けるでしょう。むしろ『コミPo!』のライト層向きの内容なら、漫画家側の発想を制限しない形で、提示できるツールになるかもしれませんね。

一色:ネームの構造への理解が深まる事が、実際に『コミPO!』を使ったネームを編集者が打ち合わせの現場で用いるのではないにしても、漫画家と編集者がより“漫画の言語”で話せるようになる可能性があるとは思います。

喜多野:『コミPo!』を使うことで、描き手の漫画家のみならず、編集者や原作者(小説化や脚本家を含む)が、漫画の言語を理解する一助になるような仕組みが、今後組み込んでいければさらにいいですね。

単にテンプレ的に素材を増やすのではなく、シチュエーションごとの使い方の漫画の文法を、イデオム的に整理統合できればイイんですが。そこは自分などの課題でもあるんですけどね。

●漫画理論の体系化と整理へ

漫画作り理論の体系化と整理

喜多野:『コミPo!』でカバーできるのはどこまでで、逆にできないのはどこからなのか。田中さんは分かっているんでしょうけれど、一般の投稿者ではどうか?『コミPo!』を魔法のツールと勘違いしては、むしろ可能性を狭めてしまう。

投稿者も編集も、漫画は絵が描ければいいと思い込んでる人が、多いですね。でも、実際はキャラクター立て、アイデア、構成、演出、多様な要素がある。ところが、これらの大切さを解いた漫画入門本は、とても少ないです。

劇画村塾とかなら具体的なメソッドがあるんですが、それは共有されていない。煽りと俯瞰の使い分けの原則とか、アップとロングの組み合わせ演出すら、まとまった技術解説はほぼないですね。ものすご〜く基本的なことなのに。

自分が担当なら、SEDESUさんと次の作品をつくるとしたら、そこから教えます。イマジナリーラインはその次、ページ構成の方法論をパターン化して教え、視線誘導は……などと段階を踏めば、作品としての質は変わってきます。

それで完結した作品を目指すのか、原作を目指すのかは本人次第ですが、いずれにしろ、『コミPo!』が予定通りライトユーザーに普及したあとに、たぶんそこが浮上してくるのではないかと思っています。

漫画家が独学や感覚で処理していたことを、体系化する作業というか、プロ用の高度な演出論ではなく、コンシューマ向けの基礎の体系化。自分の場合は、そこの叩き台を提示するのが今のテーマですから。

漫画の演出方法を、一種の漫画攻略本的なモノとして提示しないと、多くの投稿者がそうであるように、人気漫画家の印象的な演出の、無批判な模倣に終わってしまって、二次創作的なものに終わりそう。

プロ用の軸線と併せて、そこら辺についての田中さんの考えとか、聞ける範囲でお聞きしたいところですね。

一色:自分も、田中さんには、「“コミPO!”の普及した先」というのかな? この先にどのようなことを夢想しておいでなのか、ということをお尋ねしたいです。

田中:まず、漫画の演出や構成、さらにキャラクター設定も含めた総合的な「漫画作り理論の体系化と整理」が進むと思います。いや、進まなければ漫画界の将来はないでしょう。

喜多野:ああ、やっぱり田中さんもそういう危機感というか、問題意識を共有されていましたか。自分は趣味と実益を兼ねて映画を年間百本以上見るのですが、アニメは既にそうですね。日本のアニメは世界一とか言ってるけれど、ここ数年の劇場公開アニメは、自分なりの年間ベストテンを作るとほとんど上位が外国作品なんです。

ピクサーやドリームワークスはもちろん、ソニー・ピクチャーズの『くもりときどきミートボール』とか、すごくレベルが高い。イスラエルの『戦場でワルツを』は監督自身の、現実の戦争体験を素材にしながら、とても重い内容を独特の表現で作品に仕上げているんですよ。これを見たら、「日本のアニメは世界一!」とか、夜郎自大の思い上がりに過ぎないと思えます。それは間違いなく、近未来の漫画にも言える……と。

田中:例えば小池一夫劇画村塾の提示した「漫画とはキャラクターである」「7ページまでにキャラクターを立てよ」に匹敵するアンチテーゼはいまだに示されていません。色々な理屈をたくさん並べて「漫画=キャラクター論」を否定する人はたくさんいますが、「ヒット作を連発する」という実績を持って示せてはいません。これは、「漫画とは○○である。」というノウハウが、まだまだ整理されていない証拠だと思います。

スチームトム:なるほどなるほど。メモメモ……。

喜多野:漫画の要素自体はいろいろあると思うのですが、小池さんの場合、枝葉を切り取って「漫画はキャラクター』と断言してしまった。それに対する賛否はあるんですが、ではそれにかわる漫画論の軸を出せた人がいるかといえば、皆無でしょう。ひょっとしたら、さいとう・たかを先生クラスにはあるのかもしれませんが。

自分は、週刊連載的な作品作りは、物語が展開していくその状態自体に面白みがあるので、キャラクター主導型の作品作りは週刊誌や隔週誌が基本となっている現在の漫画市場においては有効だと思います。

ただそれは、読み切り作品や一話完結型の物語作りでも万能だとは思わないんです。キャラクターのみならず、アイデアやエピソードの独自性や面白さ、アイテムや設定などのバランスがないと、ほんとうの意味でいい作品には成り得ないと考えています。

そこら辺は“他人・事・物”の相互作用と循環が重要ではないかと。映画とかですと、やっぱり結末に向かって収れんされるものですから、オチとなるアイデアやエピソードが秀逸でないと物足りない。

アメリカとか、昼メロにあたるテレビドラマ(ソープオペラ)は週刊連載的な作品作りで、デビッド・リンチ監督の『ツインピークス』などは結末を決めずにアドリブで作っていくその手法を真似た(映画評論家の町山智浩さんの指摘)そうですが、映画的な作りとはやっぱり違う。

実は、勝新太郎のTV版『座頭市』でも、それに近いアドリブ的な作品作りをしていたそうですが。ただそれは、どんなに破綻した状態でも最後はなんとかも着地させられる地力があってこそ。本来は、新人は何本も読み切り作品を経験して、その試行錯誤の中で「作品をまとめる地力」を身につけるんですが、読み切りをろくに描かないうちに連載に入る現状のシステムでは、勢いキャラクター主導型の作品作りに傾倒してしまう。

柔道の大腰という技や袈裟固めという技は、実戦では使いづらい技ですが、投げ技の仕組みや寝技の仕組みを理解する上では、とても重要な技です。漫画でも、読み切りや短編を基本技として学ぶ必要はあるわけで。

できれば、『コミPo!』などで単なる絵を描くくのを代行する存在ではなく、そういう漫画を描くための花や実ではないけれど、根っこや幹になる技術とセットで普及を図るなら、漫画文化を一部の人間の独占物ではなく、大衆の嗜好品(しこうひん)として定着させられるんじゃないかと、自分は考えているんですよね。

田中:現状あるコマ割り・構成・視線誘導のノウハウは「読みやすさ、分かり易さ」を助けるものでしかないですし、映画に例えると、シロウトの作ったわかりにくい映画を、まぁまぁ観られる程度に直すくらいの役割です。もっと漫画を強烈に魅力的にするファクターがたくさんあるはずです。その多くは個人事業主である漫画家たちが“秘伝のタレ”として隠していることが多く、これでは将来的に優れた才能が出てきにくい。映画理論や音楽理論に匹敵する“漫画理論”の整理を急がないと日本漫画のアドバンテージは、近い将来なくなっていくと思います。

喜多野:それは分かりやすい例えですね。まさに“秘伝のタレ”状態ですね。自分はそこを共有財産にしたくて、マンゼミでは手の内明かしているんですが。それは一色さんにしてもそうなんですが、なかなか難しい作業ですからね。

作家も得手不得手や守備範囲がずいぶん違いますから、当然なんですが。田中さんとはそこら辺で、持ち寄れる部分が多いと思うんですが、そこらへんで具体的な使用事例とか、なにかおありでしょうか?

田中:現状の『コミPo!』でも、コマ割りやアングルの違いが読者にどのような影響を与えるかを容易に確認することができます。現に伊藤剛さんは大学の授業で『コミPo!』を取り入れて「ここのアングルをこう変えると、演出意図はこう変わる」といったことを教えています。また、『コミPo!』を手に入れたアマチュアの方が、人気漫画を参考にしてアングルの善し悪し、1ページあたりのコマ数、フキダシ1つあたりの文字数、を研究し始めています。こういうことの先にあるのが「漫画をより魅力的にする秘伝のタレは、○○である」というメソッドの数々だと思います。それが確立されたら漫画の将来は明るいはずですよ。

スチームトム:画角、構成を説明するのは分かりやすいですね。映画演劇でも使えそうですね。その場合、今は個体一つのアングルしか変えられませんが、グループでまとめてアングルを変えられるようにしないとういけないなどの課題がありますね。

喜多野:そこら辺の研究結果をや集合知を、集約しつつ共有財産にできるように、何ができるのかを考えていくことが、『コミPo!』の進化というか、より多くのライトユーザー層への浸透に必要不可欠ではないかと思いますね。

そこでどんな知恵を持ち寄れるか、機会を改めてお話できたらいいですね。

一色:そうですね、漫画を、紙にインクで描くのも、パソコンで『コミックスタジオ』で描くのも、あるいは『コミPO!』で描くのも、つまりは道具の違いに過ぎない、とまとめると、やはり大切なのはそれを包括できる“漫画作りのノウハウ”“漫画技術の教養”ということになる。

喜多野:誤解があるかもしれませんが、自分は新しい技術に関しては抵抗感がないタイプです。新しい画材によって表現の幅は広がっても、旧来の画材を駆逐するものではない。水彩には水彩の良さがあり、油絵には油絵の良さがありますから。『Photoshop』や『Painter』も、そういう画材のひとつだと思っています。

ただ、画材は画材でその使い道をちゃんと知っておかないと、パステルでいくら油絵的な表現を狙っても、おのずと限界があるでしょう? そことは別に、一色さんがいう『漫画技術の教養』もセットで出していかないと。透視画法は油彩でも水彩でも有効で、必要なように。

一色:無理にこの結論に誘導したかったつもりもないのですが、前回の座談での主題や結論に近い所に、今回の話でも最終的には辿り着いたように思います。

つまり「漫画作り理論の体系化と整理」ですね。それは、紙の上での技術論でもありますし、広くは商業システムとしてどのように作られ流通するべきかという昨今見られる議論も含むと思いますね。

喜多野:そうですね。もうそろそろ、そこらへんのノウハウをオープンにしないと。現状での、『コミPo!』の方向性とかは田中さんがイロイロと考えていらっしゃるでしょうし、その流れの中でごく基本的なところでいいので、先人たちが見つけた秘伝のタレを、体系立ててまとめられれば、マニア化した漫画の在り方を、もうちょっと普通の表現のひとつとして、普及させられるのではないかと。

なんか今回も、自分がベラベラとしゃべり過ぎな感じですが(笑)、有意義なおはなしが聞けたと思います。

スチームトム:いえいえ、喜多野さんのお話もとても有意義でした(意地悪でしたが)。

田中さん、お話いただき、どうもありがとうございました。今後の『コミPO!』の展開がとても楽しみです!

一色さんの仰るとおり漫画界の体系化については今後もいろいろなゲストとお迎えして、当座談会で一つの叩き台をつくるところまで持って行きたいですね。

皆様、どうもありがとうございました。

(編集サポート:shnsk)


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