「最近○○のせいで、結婚しなくてもいい、恋愛をしなくてもいい、という男子が増えているんですって」
 そんなことを話しかけられたのは、騒がしい飲み会の最中だった。思わず聞き返した。
 結婚しなくてもいい、恋愛をしなくてもいい。そんな気分にさせてくれる魔法が、どこの世界にあるというのだろう。
「え、よく聞こえなかった。それって」
「テンガですよ、テンガ」
 テンガがTENGAと書くアダルトグッズであるということは、帰宅してインターネットのサーチエンジンで調べて知った。それはTENGAがデビューして半年ほど経ったころで、一部の好事家だけのものではなくなり始めた時期だったのだ。それから何ヶ月かして、あの事件が起きる。財団法人日本産業デザイン振興会が主催する、グッドデザイン賞の東京ビッグサイトの展示会で、一次審査を通過したにもかかわらず、突然TENGAブースに撤去が申し渡されたのだ。自己の仕事に誇りを持つ、株式会社典雅社長・松本光一は、撤去を求められたブースの前に立ち、こう叫んだ。
「オレたちは、この製品にプライドを持って作っている。誰もが平等に性を楽しめるよう、真面目にモノ作りをしている。手を抜いたことなど一度もない。グッドデザイン賞というのは、モノ作りや普段日の当たらない中小企業に対して、やる気と活力を与えるのが目的の賞じゃないのか? オレたちはこれに信念を持って人生を賭けているんだ。世の中の役に立てると思ってやっている。モノ作り屋として恥じることなど何一つしていない。オレの言っていることが間違っていると言うのなら、撤去してみろ!」
 結局、TENGAが強制撤去されることはなかったものの、ブースは封鎖され、前にガードマンが立つという異様な状態で展示会は開催されることになった。最後まで明確な理由が伝えられることはなかったという。2006年8月の出来事である。
『TENGA論』は、アダルトグッズ業界に革命を起こしたTENGAの開発から発売、そしてそれが引き起こした巨大な影響について記録した書である。装丁のデザインは、TENGAのラインアップの一つ「TOC-101 ディープスロートカップ」を模していて、この本自体がTENGA公認オフィシャルBOOKの性格を持っている(巻末には、ライター罪山罰太郎による、各商品のレビューも付されている)。とはいうものの、決して性的な内容を前面に押し出しているわけではないので、恥ずかしがらずに手にとってもらいたい。新しい価値の創造と普及、高品質の追及に真剣にとりくんでいるベンチャー企業の創業記として、広い範囲の読者に訴えかける魅力のある本だ。

 第二章「革命前夜〜TENGA設立までの道のり」の章では、創業者の松本光一がどのようにしてTENGAという商品開発を思い至り、実際に企業化にこぎつけたか、ということが書かれている。時間がない人、関心がない人も、この章だけは読むべきだ。
 松本は1967年、静岡県生まれである。生地近くは、日本でも有数のプラ模型メーカーが集まった地域であり、ここで幼少期に模型を通してモノ作りの楽しさを知ったことが松本の運命を決定づけた。映画「マッドマックス」を経由してスーパーカーの魅力に憑かれ、自動車整備を仕事として選ぶことになる。しかし勤めていた会社が経営不振になったことからセールスマンに転身、メカニックを熟知した腕利きのセールスマンとして大いに売り上げに貢献する。しかしモノ作りをしたいという気持ちは棄てがたく、独学で勉強を続けていた。そんなとき、たまたま立ち寄ったAV販売ショップのアダルトグッズ・コーナーで、松本は天啓を受けた。当時のアダルトグッズは、おどろおどろしいパッケージに、品質保証をまったく考えていない、前近代的なメーカーの態度がまかり通る世界だった。そこに革命を起こせるかもしれないと考えたのだ。
「今は存在しない新しいモノを作って世の中の多くの人々に楽しんでもらいたい」
 そうした思いから松本は、文字通りゼロからの出発を切った。彼の思いが伝わってくるようで、この箇所を読みながら私は胸が湧き立つような感情を覚えた。

 本書で明らかにされているTENGAの魅力は、大きく分けて三つある。
 一つ目は上記のような、品質を追求する姿勢が製品デザインの隅々にまで徹底されていること。TENGAという商品のパッケージは従来のアダルトグッズの概念から大きく隔たったものだが、商品自体にもデザインが機能と不可分に結びついているという特色がある。よくできた工業製品だけが獲得できる、機能美がTENGAにはあるのだ。
 二つ目は商品に遊び心が充溢していることだ。創業者の松本がプラ模型好きだったことは上に描いたが、TENGAの商品名には、1980年代に大流行したガンプラ、すなわち「機動戦士ガンダム」のプラ模型からの影響がある。「TOC-101」といった製品番号の振り方はモビルスーツのそれを模したものだ。商品の部品名のうち「ムービング・フレーム」はガンダムMK-?の「ムーバブルフレーム」、「パワードストラップ」はパワード・ジムから採られたものである。また、商品に空けられた穴を利用して中を真空状態にし、密着度を増す商品の構造は、内燃機関からヒントを得たように見える。こうしたメカニック性を追及し、それを顧客に公開して商品特徴とすることも、国内のアダルトグッズではTENGAが初めて行ったことである。TENGAは他業種の企業とコラボーレション・ブランド商品を開発しているが、それも国内では初の戦略といえる。
 第三は、商品を暗がりから外に出し、真面目なものとして取り扱ったことだ。本書の第七章ではTENGAが身体障害者のセクシュアリティ支援を行っていることや、泌尿器科医の射精治療にも用いられていることが記されている。性の衝動を秘匿しなければならない恥ずべきものとする旧弊な倫理観が、現在の日本では支配的だ(だからこそ、グッドデザイン賞の審査で差別を受けたのである)。そうした空気の中で、TENGAは利用者に明るさを与えようとしている。

 本書を読んで、TENGAのことを教えてくれた女性が私にあのとき言ったことは、残念ながら間違っていたと思うようになった。TENGAは女性の代用品ではないし、まして敵対するものでもない。リリー・フランキーは本書に寄稿して、「TENGAって一つの性別なんだよね」と書いた。TENGAが提唱するオナニーは、大人の成人男性の、正当な性欲の処理手段だ。それはまったく恥じることのない、当然の行為なのである。

(杉江松恋)







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