W杯南ア大会におけるフランス代表の“破局”からほぼ8ヶ月、これまでメディアに一切語ってこなかったレイモン・ドメネク前監督がついに沈黙を破った。16日発売の仏週刊誌「レクスプレス」にロングインタビューが掲載されている。

 W杯でフランス代表が犯した失敗の最大の原因は監督にあった、との指摘が多い中、8ヶ月後に本人が導き出した結論はこうだ。「おそらく人選を誤った。チームはいいプレーができなかった。たぶん私がプロジェクトをうまく説明しきれなかったのだろう」。

 “人選のミス”とは、プレー上のことだけでなく、監督の指示に従わなかった複数の選手について言っているようだ。監督を罵倒したアネルカのチーム追放のあと、選手たちはこれに抗議すべく、練習ボイコットを企てバスに籠ったが、ドメネク氏は1時間にわたり説得を試みた。このとき“首謀者”たちがいるとは感じなかったという。

 「もしいたとしても、自分にはわからなかった。私はバスに乗り込み言うべきことを言って降りた。これを3度繰り返した。選手たちが話し合っているのを聞いたが、それをまとめる選手がいたわけじゃない。このとき私は、彼らの頭がおかしくなって、わけがわからなくなっているのだと感じた。でもいま思えばそれは間違いだった。彼らは自分たちがしていることをよくわかっていた。バスのカーテンを閉めてカメラから身を隠すことすら心得ていたんだ」。

 「家族が見ているぞ。きみたちが送り出しているイメージはとんでもないことになっているぞ」などとあらゆる手段で選手たちを思いとどまらせようとした前監督だが、ついに匙を投げた。「もう彼らを守る気はなくなった」と選手たちが用意した声明文を報道陣の前で自ら読み上げた。「茶番劇は終わりにして、誰かが責任をとらなきゃいけないと思った」という。

 こうした選手たちの行為を自分に対する裏切りだとは感じていない。「ただ、いまにして思えば、彼らは無自覚なガキの集団だった」と語るドメネク前監督。「要するに頭の良し悪しの問題だったのか」と問われると、「頭の良い悪いはそれが何を意味するかによる。私にとってまずそれは、状況に合わせる能力だ。そういう意味では、我々にそれが欠けていた」と答えた。

 このほか前監督は、当時のスポーツ大臣や解説者となった98年W杯優勝メンバーの批判に対して、ことごとく「部外者の立場で物を言うのは簡単」と一蹴した。

 2008年に監督の続投を決めたサッカー連盟(FFF)に対しては、「いまとなっては、なぜあのとき自ら辞任していなかったのかと思うことはある。何もかもが狂ってしまった。自分に物事を見通す能力が欠けていた。なぜあのとき、誰も自分に辞めろと迫ってこなかったのかとすら思う」と、FFFにも責任の一端があるとの考えを暗に示した。

 そのFFFを解雇された最大の理由となったのが、最後の南ア戦の終了後に相手監督との握手を拒否したこと。これについては、「私には欠点がある。偽善者にはなれないことだ。彼(パレイラ監督)は我々の本大会出場が恥ずべきものだと侮辱した。(ハンドの反則で決勝ゴールをアシストした)ティエリ・アンリをインチキ呼ばわりした。私はつねに自分の選手たちを守る」と正当化した。

 インタビューの冒頭で「自分に関する話を読んだり聞いたりするのにうんざりした。誰もが私の立場で話そうとする。自分なりの真実を打ち立てる意欲に駆られた」と沈黙を破った理由を語るドメネク氏。ただしインタビューの場に自身の弁護士とエージェントを同席させるなど用心は周到で、自身のイメージ改善に腐心している感は否めない。

 それもそのはず、今後は演劇や映画の分野に進出が囁かれるドメネク氏だが、やはりサッカー界に返り咲く夢を捨てていない。「いったん職を解かれた監督なら誰しも思うだろう、もう一度やりたいと。ユースも含めれば17年間、代表監督を務めてきた。ピッチを恋しく思うのはほぼ肉体的な欲求で、毎日のように感じている。1月にはオーストリアの連盟に招かれて17〜18歳の選手を何日か指導したが、非常に喜びを感じた」と語り、現場復帰に意欲を燃やす。

 すでにいくつかオファーもあったが、現時点ではそれを断ったという。再出発するには、まだ十分に過去の記憶を振り払えていない、というのが理由だ。「恋愛でも同じだろう。別の女性を愛するには、前の女性を忘れなくてはならない」とドメネク氏ならではの受け答えで、今回インタビューに応じたのが“現場復帰”への布石であることを感じさせた。