cinema20110216

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真のジャーナリストというものは、自分が見たままを、感じたまま、他者の批判を恐れずに表現できる人のことなのだろう。そういう意味で、真のジャーナリストが減ったと嘆かれるのは当然のこと。記者クラブで発表された資料だけを用いて記事を執筆、懇意にする取材対象が言いたいことだけを聞き、それをリリースするだけのジャーナリストもどきも多いと聞く。

確かに、“本当のこと”を書こうとすれば、時に取材対象には嫌われ、告訴までされかねないのだ。今、話題となっている大相撲の八百長問題に早くから取り組んだ記者や出版社のように。人間の闇、陰の部分を暴くことは、暴く者にしても覚悟と勇気がいるものだ。人に嫌われるという役回りを進んで受け入れ、敵意を直接受け止めるなど、誰でも嬉しいはずはない。嫌われるのが大好きな人はいないはずだ。だが、それを厭わない人間もいる。もしかすると、嫌われることを厭わないことこそが、ジャーナリストに必要な第一の資質であるかもしれない。そんな稀有な資質を持つ男の一人が、ハンター・S・トンプソンだ。GONZO=ならず者と呼ばれた人物で、ジャーナリズム界のロックスター、偉大な作家にして、ドラッグ中毒者、そして真のトラブルメーカーと呼ばれた。映画ファンには、『ラスベガスをやっつけろ!』でジョニー・デップが演じた役のモデルとなった人物だといえば、ピンと来るだろうか。



ヘルズ・エンジェルズというギャング集団の中に飛び込んで取材をしたかと思えば、大統領選を密着取材する。型破りな取材方法や、破天荒な切り口と論調から、GONZOと呼ばれたが、彼を突き動かしていたのは、他ならぬ愛国心だ。「書くことで何かを変えられる」と信じていたから、酒とドラッグにまみれ、保守派に疎まれながらも、彼の見た真実を自分らしい方法で書き続けた。そして、没後6年経った今も、アメリカ国民に愛され続けている。決して、“America’s sweetheart”的ではないアウトローにも関わらず、彼はなぜ愛され続けたのか、その理由はドキュメンタリー『GONZO−ならず者ジャーナリスト、ハンター・S・トンプソンのすべて―』を見ればわかる。プライベートでもトンプソンと親交が深く、彼に心酔していたというジョニー・デップがナレーションを担当。ジミー・カーター、パット・ブキャナン、トム・ウルフら各界の大物をはじめ、彼の友人や家族らも登場し、貴重な未発表資料などを駆使して、彼の実像に迫っていく。

確かに、表面的には“ならず者”だが、彼を“ならず者ジャーナリスト”たらしめている理由は、実はしごく全うなもののように思う。彼なりに、市民が感じる絶望や怒りを社会に媚びることなく記事に反映させるためには、そうする必要と覚悟のようなものがあったのではないだろうか。

そんな彼を、権力者、政治家が恐れたのは当然だ。彼の書くものが、道徳者の仮面を剥がしてしまい、真の顔が市民に暴かれてしまうのだから。かつて、アスペンの保安官選挙に出た彼は、選挙CMでこんな言葉を使った。「不道徳者を装った、道徳者」。不道徳者でなければできなかったことがあり、貫けなかった信念があったのではないか。道徳者を装った不道徳者が多いこの時代に、ぜひ彼ペンで、彼らをばっさり斬って欲しかった。普通なら躊躇することを、やってのける才能=ジャーナリストとしての才能は、それほど多くの人が持ち合わせているものではないのだから。



2005年2月20日に彼は拳銃自殺した。彼が生前行った数々のことがらを「勇気がある」と賞賛する人がいるものの、「それは違う」と元妻は言う。「今でこそ、彼の言葉で世の中を変えられたかもしれないのに」と。確かに彼の死は残念だ。確かに、彼でなくては出来ないことがもっともっとあっただろう。だが、失われたものを嘆く気持ちはさておいて、今となっては、彼が遺したある種の文化を有難く思うことにしようではないか。彼の後継者が育ってくれることを願いつつ。(text/jun makiguchi)

『GONZO〜ならず者ジャーナリスト、ハンター・S・トンプソンのすべて〜』
2011年2月19(土)シアターN渋谷、シネマート新宿にて公開
2008,アメリカ,ファントム・フィルム
©2008 HDNet Films, LLC


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